やおいという言葉の誕生
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坂田靖子の主宰する漫画同人会ラヴリに、会員の磨留美樹子の描いた『夜追い』(夜追)という漫画があり(波津彬子は、意味はよくわからないが独特の色気がある作品と評している)、真面目に付けられたタイトルだが、作者自身が後に「ヤマもオチも意味もない」とタイトルに当てはめていって言っていたという。当時は同人誌の参加者はたいてい漫画家を目指しており、漫画を雑誌に投稿すると編集担当者から「ヤマがない」「オチがない」などとと批評されており、編集者はストーリー構成に厳しく、書き手には山・落ち・意味をきちんと備えたものを書かなければならないという強迫観念があったといわれる。こういった状況を背景に、ラヴリの仲間内でシャレとして「ヤマもオチも意味もない」という意味で「やおい」という言葉が流行った。その後、ラブリのメンバーの波津彬子が他のメンバーらに声をかけ、1979年12月20日に波津彬子責任編集の同人誌『らっぽり』「やおい特集号」が発行されたが、波津は『夜追い』の不思議な魅力を追求し、定義づけしようという意図で作ったと述べている。これが「やおい」という言葉の初出といわれる。最初は「やおい」には性的な意味は含まれていなかった。BL作家の霜月りつ によると、当時は同人活動でもストーリー性やメッセージ性のない漫画・小説などはバカにされていた。そういった状況で、実力派揃いの漫画サークルがこういった本を出し、ストーリーがなくても、書きたいところだけを書いてもいいという自由さを提示し、売れて高く評価されたことで、こういうことをやってもいいんだという免罪符のようなものになり、ストーリー性の薄い、作り手の読みたい・描きたいシーンだけを集めた創作物が作られるようになった。作り手の読みたい・描きたいシーンだけを集めると、結果的に「男同士のあぶない話」ばかりだったのだという。霜月は、『らっぽり』の「やおい特集号」は、この時代のエポック的な同人誌のひとつで、非常に影響が大きく、「なにかえっちなものを描きたいけど、それがなんなのかわからないという人にひとつの方向性を与えた」と述べている。(なお当時、商業では雑誌「JUNE」などでオリジナルの美青年、美少年同士の同性愛漫画があったが、JUNEの作家には、自分たちのマンガは「やおい(やまもおちもいみもない)漫画ではなくJUNEである」という自負があり、「やおい」と呼ばれるのには抵抗感があったようである。) 上記の『らっぽり』のエピソードは一般に広く知られていたわけではない。やおいの語源は、作品のほとんどが直接的な性描写のみによって構成されることから、ストーリー構成に必要な「ヤマ(山、山場)無し」「オチ(落ち)無し」「イミ(意味)無し」の3つが無いという意味で、この三語を繋ぎ、そう呼ばれるようになったといわれてきた。元々はジャンルを問わずヤマもオチも意味もない低質な漫画作品全般を指す用語として使われていた。その否定的な含意から、しばしば愛好者の自己卑下的な心情を表していると考えられている。しかし、パロディ感覚に満ちた遊び心から生まれた面もあり、東園子は、やおいと呼ばれる作品やそれを読む自分を相対化し、明るく笑い飛ばすような諧謔のニュアンスもあるのではないかと指摘している。中島梓(栗本薫)は『小説道場』(「JUNE」の読者の投稿小説を中島が批評するコーナーで、ここから多くのBL作家が生まれた。やおいという言葉がよく用いられた時代に連載)の単行本で、やおいという言葉は「『意味のあることだけが正しい』とされてきた既成社会への挑戦」であり「ヤマありオチありイミあり」社会に対するゲリラのテーゼ」と捉えている。東は中島の解釈を受け、「ヤマありオチありイミあり」の物語は、他の人が読んで面白く感じられる話であり、「自分を楽しませてほしい」という他者の欲望を意識した作品だと考えられるが、「ヤマなしオチなしイミなし」の物語であるやおいは、「他者の欲望に奉仕することを拒否し、書き手の欲望のみに従った物語であることを宣言した名称」ではないかと述べている。 現在では若年層は元々は否定的なニュアンスがあったという経緯を知らないままに使っている場合があるが、自身の作品を「やおい」と呼ばれることに嫌悪感を抱く作者も存在する。女性向けのパロディ同人誌でも男性同士の同性愛ではなく男女の異性愛を描いているものは、やおいと区別して「ノーマル」と呼ばれることがある。実際にはやおい系作品でも厳密に性描写だけから構成されるような作品は少なく、十分に物語性を備えたものであってもやおいと呼ばれ、やおい系作品であるが物語性を備えていることを強調するときは「やおいあり」ということもある。
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