はな子
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はな子(はなこ、1947年 - 2016年5月26日)は、東京都武蔵野市の井の頭自然文化園で飼育されていたメスのアジアゾウである[1]。
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- ^ “武蔵野ジャーナル 2017 SUMMER 「はな子」の銅像がついにお披露目”. 武蔵野市. 2022年9月28日閲覧。
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- ^ 2016年 - ドキュメント72時間 NHKオンライン
はな子
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はな子 - かつて東京都武蔵野市の井の頭自然文化園に居たアジアゾウ。
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はな子(はなこ)
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犬屋敷が新居購入を機に動物愛護センターから譲り受けた柴犬系の犬。すでに成犬だが人懐っこく、機械の身体になった犬屋敷にも懐いており、犬屋敷の唯一の心の支え。犬屋敷と獅子神と共に宇宙人の事故に巻き込まれそうになったが、直前に逃げたためことなきを得る。本作で宇宙人の姿と犬屋敷と獅子神が宇宙人によって機械にされる過程を目撃した唯一の存在である。
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はな子
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「はな子」も参照 はな子は、井の頭自然文化園で飼育されていたメスのアジアゾウ。1947年、タイ生まれ。戦後はじめて来日したゾウである。来日直後は、1949年に上野動物園で飼育され、戦争中に餓死させられたゾウ「花子(ワンリー)」の名前を継いだ。はな子は、1950年に始まった上野動物園の「移動動物園」という企画で東京都下を巡回し、井の頭自然文化園を3年連続で訪れた。武蔵野市や三鷹市ではな子の誘致運動が起こり、1954年に上野動物園から井の頭自然文化園に引っ越した。 1956年、開園前にゾウ舎に侵入した酔客を踏み殺し、さらに1960年にも男性飼育員を踏み殺している。 1980年代に歯が抜け落ちて左下一本だけとなった。バナナやリンゴをすりつぶした流動食で体を維持していた。 2013年に、日本で飼育されたゾウの長寿記録を更新した。 2016年5月26日、69年に及ぶ生涯を閉じた。
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