さいめいてんのうとは? わかりやすく解説

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さいめい‐てんのう〔‐テンワウ〕【斉明天皇】

読み方:さいめいてんのう

594〜661]第37天皇女帝在位655〜661。皇極天皇重祚(ちょうそ)。大化の改新後、蝦夷(えぞ)征討軍を派遣百済(くだら)救援のため自ら九州に赴き、その地で病没


斉明天皇

斉明天皇は、用明天皇の孫にあたる高向王嫁いだが、その後舒明天皇再嫁してのちの天智天皇天武天皇らを生んだ
645年乙巳の変(いっしのへん)」で孝徳天皇譲位したが、654年孝徳天皇崩御すると翌655年飛鳥板蓋宮即位して天皇の位についた(重祚という)。
この天皇は工事好きで知られ飛鳥岡本宮などを造営し民衆に「狂心の渠(たぶれごころのみぞ)」などと呼ばれた
天皇が病を得紀州湯治行ったとき、蘇我赤兄に謀られた有馬皇子謀反企てた
だが発覚して紀州藤白坂で処刑されるという事件があった。
660年朝鮮半島百済から唐・新羅連合軍侵攻受けているとの報があり救援求めてきた。
斉明天皇はこの救援要請を受け、軍を発向熟田津経由して博多入りさらに朝倉橘広庭宮移った
この後天災起きて天皇が病に倒れそのまま帰らぬ人となった
百済救援その後天智天皇引き継がれる
37代天皇
天皇名斉明天皇
読み方さいめいてんのう
名・諱等天豊財重日足姫尊
読み方あめとよたからいかしひたらしひめ
時代区分古代
天皇在位655年から661年
生年594?
没年661
茅渟王
吉備姫王
兄弟軽皇子(孝徳天皇)
配偶者舒明天皇
皇子女葛城皇子大海人皇子
即位宮飛鳥板蓋宮
天皇陵越智崗上陵
所在地奈良県高市郡高取町大字車木


齊明天皇 越智崗上陵
(さいめいてんのう おちのおかのえのみささぎ)

御陵写真 陵印
代   数 :第37代(第35代 皇極天皇重祚)
天 皇 名 :齊明天皇
(さいめいてんのう)
御   父 茅渟王
御   母 :妃吉備姫
御 陵 名 越智崗上陵
(おちのおかのえのみささぎ
陵   形 円丘
所 在 地 奈良県高市郡高取町大字車木
交通機関等 近鉄橿原神宮前」からバス「郡界下車東へ  0.5km
陵印保管場所 畝傍陵墓監区事務所


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