きっかけから執筆に至るまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 00:59 UTC 版)
「アンダーグラウンド (村上春樹)」の記事における「きっかけから執筆に至るまで」の解説
1995年3月20日、村上は神奈川県大磯の自宅にいた。当時アメリカのマサチューセッツ州に住んでいたが、所属していた大学が春休みだったのでたまたま一時帰国していた。午前10時にマスコミ関係者の知り合いから電話がかかり、「これは間違いなくオウムのしわざだから、しばらく東京に出てこない方がいい」と言われたという。 事件後、氾濫する各種マスコミの情報の中に、知りたいことは見あたらなかった。村上が知りたかったのは「そのときに地下鉄の列車の中に居合わせた人々は、そこで何を見て、どのような行動をとり、何を感じ、考えたのか」ということだった。 地下の世界は村上にとって、一貫して重要な小説のモチーフであり舞台であった。とりわけ『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』と『ねじまき鳥クロニクル』において、地下の世界は物語の中で中心的な役割を果たしていた。地下鉄サリン事件に興味を持ったのはそういった個人的背景もあると村上は述べている。 村上は1995年夏にアメリカから帰国。秋頃、押川節生と高橋秀実の二人のリサーチャーに編集者を加えたチームが形成される。担当編集者はデビュー作『風の歌を聴け』からの付き合いである木下陽子だった。最初のインタビューが行われたのが1995年12月、すべての原稿を書き終えたのが1997年1月だった。 証言者(インタビュイー)はリサーチャーである押川節生と高橋秀実が探し出した。 インタビュイーの総数は62人に及んだが、そのうちの2人から原稿化したあとで証言の掲載を拒否された。 本書を構成するにあたって、スタッズ・ターケルとボブ・グリーンのそれぞれの著作から有益なヒントを得たという。「ボブ・グリーンの著作というのは『ホームカミング』のことではないか」という読者の質問に対し、村上は「ボブ・グリーンの本はたしかに『ホームカミング』です。あれは優れたいい本ですよね。ひとつの疑問をもって、それを丁寧に追求していくという手法は、『そうだな』と思わされるところがありました」と答えている。『ホームカミング』は、1991年9月、文藝春秋から井上一馬の訳で出版されている。
※この「きっかけから執筆に至るまで」の解説は、「アンダーグラウンド (村上春樹)」の解説の一部です。
「きっかけから執筆に至るまで」を含む「アンダーグラウンド (村上春樹)」の記事については、「アンダーグラウンド (村上春樹)」の概要を参照ください。
- きっかけから執筆に至るまでのページへのリンク