お笑い第三世代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 20:44 UTC 版)
お笑い第三世代(おわらいだいさんせだい)は、漫才ブーム以降の1980年代中盤から1990年初頭、テレビの深夜番組など[1]を発端としたブームから台頭した若手お笑いタレントを総称した俗称。
- 1 お笑い第三世代とは
- 2 お笑い第三世代の概要
お笑い第三世代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 20:32 UTC 版)
「お笑い第三世代」も参照 1980年代中盤 - 1990年代初頭の中山秀征(ABブラザーズ)、とんねるず・ダウンタウン・ウッチャンナンチャン・B21スペシャルらが台頭した時代。この世代は他の世代と違い、同世代の芸人同士による共演がほとんど見られないのが特徴である。
※この「お笑い第三世代」の解説は、「お笑いブーム」の解説の一部です。
「お笑い第三世代」を含む「お笑いブーム」の記事については、「お笑いブーム」の概要を参照ください。
お笑い第三世代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 15:26 UTC 版)
詳細は「お笑い第三世代」を参照 1980年中盤から1990年初頭にかけて、テレビの深夜番組を発端としたブーム。演芸ブームを「お笑い第一世代」、漫才ブームを「お笑い第二世代」と数えて「お笑い第三世代」と呼ばれた。 1980年代初頭にメディアを席巻した漫才ブームが、1982年頃を境に人気の低迷期に突入し、ブームに活躍した漫才師は、コンビ解消やピン活動などメディアの幅を拡大させていた。同時期、大阪・吉本興業は新人発掘を目的に、新人タレント養成所「吉本総合芸能学院」(通称:NSC)を開校。養成所からはダウンタウン、ハイヒール、トミーズなどの漫才師が誕生するが、デビュー直後に全国的に認知されるまでに至らなかった。一方東京では、前記のブーム期に放送された「お笑いスター誕生!!」や各局のお笑いオーディション番組で活躍した山田邦子、とんねるずを筆頭に頭角を現し、タモリ、明石家さんま、ビートたけしのビッグ3がテレビ界を独占している状態であった。 1980年代中期、民放各局は深夜放送が急増、セミプロ・アマチュアのタレントの登場により、お笑いシーンに変化が訪れ、若手主体による小劇場やライブ・スペースが東西問わず数多く開催(主に心斎橋筋2丁目劇場、ラ・ママ新人コント大会)され、旧来の師弟関係での定義が薄れ、タレント育成所・ライブ出身者になる新たな仕組みが生まれた。さらに演劇界では、演劇的な笑いを織り交ぜたシティボーイズを代表に新たなジャンルを切り開いた。メディアでは漫才ブーム〜ひょうきん族世代以降のタレントを「ニューウェーブ」や「新人類」と総評し、さらに民放各局が終日24時間放送を実施。深夜番組が一世代に比べて一層に拡大。後にお笑い第三世代の代表格とされるとんねるずがビッグ3の独占状態だったテレビ界に割って入り、前述の三者のお笑いは古いとまで言わしめた。その後、ダウンタウン、ウッチャンナンチャンもとんねるずを追いかけるまでの人気を獲得した。この経緯によりとんねるず、ダウンタウン、ウッチャンナンチャンがお笑い第三世代の代表格とされている。この3組の活躍とともに「楽しくなければテレビじゃない」を標榜し「軽チャー」路線を打ち出したフジテレビが多くのバラエティ番組を制作し人気を博した。 この時代まではお笑い第二世代と同様、お笑い芸人がブレイクする番組のフォーマットは基本的にはコント番組がほとんどであった。 この世代は他の世代と違い、同世代の芸人同士による共演がほとんど見られないのが特徴である。
※この「お笑い第三世代」の解説は、「日本お笑い史」の解説の一部です。
「お笑い第三世代」を含む「日本お笑い史」の記事については、「日本お笑い史」の概要を参照ください。
- お笑い第三世代のページへのリンク