『三国志』魏書東夷伝倭人条における記述とは? わかりやすく解説

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『三国志』魏書東夷伝倭人条における記述

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 23:17 UTC 版)

鬼道」の記事における「『三国志』魏書東夷伝倭人条における記述」の解説

『三国志』における「魏志倭人伝」(『三国志』魏書東夷伝倭人条)では、親魏倭王卑弥呼はこの国の女王であり、約30の国からなる倭国の都としてここに住居していたとしている。 其國本亦以男子為王 住七八十年 倭國亂 相攻伐歴年共立一女子為王 名卑彌呼鬼道 能惑衆 年已長大 無夫婿 有男弟佐治國 自為王以來 少有見者 以婢千人自侍 唯有男子一人飲食 傳辭出入 居處宮室樓觀 城柵嚴設 常有人持兵守衛 倭国には元々は男王が置かれていたが、国家成立から7080年経たころ(漢の霊帝光和年間)倭国乱れ歴年におよぶ戦乱の後、女子共立し王とした。その名は卑弥呼である。女王鬼道によって人心掌握し、既に高齢で夫は持たず、弟が国の支配補佐した。1,000人の侍女持ち宮室楼観起居し、王位に就いて以来、人と会うことはなく、一人男子飲食世話取次ぎをし、巡らされた城や柵、多数兵士守られていた。 この戦乱は、中国史書書かれいわゆる倭国大乱」と考えられている。 卑弥呼に関する魏志倭人伝」のこの「鬼道」の記述から、卑弥呼呪術司る巫女シャーマンのような人物であり、邪馬台国原始的な呪術国家とする見方がある。一方で、弟が政治補佐したという記述から、巫女卑弥呼神事司り実際統治男子が行二元政治とする見方もある。

※この「『三国志』魏書東夷伝倭人条における記述」の解説は、「鬼道」の解説の一部です。
「『三国志』魏書東夷伝倭人条における記述」を含む「鬼道」の記事については、「鬼道」の概要を参照ください。

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