『マン・オブ・スティール』(2013年)
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「スーパーマンの映画作品」の記事における「『マン・オブ・スティール』(2013年)」の解説
詳細は「マン・オブ・スティール」を参照 2008年6月、ワーナー・ブラザースは、新たな『スーパーマン』のために、コミック作家や、脚本家、映画監督らから広く意見を募った。マーク・ウェイド(英語版)は「『スーパーマン リターンズ』はアン・リーの『ハルク』のようなものだ。『インクレディブル・ハルク』で、観客はあなた方を許し、フランチャイズをやり直させてくれた」。グラント・モリソン(英語版)、ジェフ・ジョーンズ、ブラッド・メルツァー(英語版)は、それぞれ自分のアイデアを売りこんだ。モリソンは『All-Star Superman』で、ウェイドは『Superman: Birthright』で彼らが描いた内容に近いものであった。マーク・ミラーは映画監督のマシュー・ヴォーンと組み、合計8時間に及ぶ『スーパーマン』三部作を『ロード・オブ・ザ・リング』のように毎年1本ずつ公開する計画を練った。ミラーはそれを『ゴッドファーザー』三部作と比較し、スーパーマンの生涯を綴ったもので、太古のクリプトンから始まり、太陽が超新星となってスーパーマンが力を失うまでを描くと説明した。2009年8月、ジェリー・シーゲルの遺族に対し、スーパーマンのオリジンの権利と Action Comics #1 におけるシーゲルの著作権を認めた。さらに裁判所は、ワーナー・ブラザースは遺族にこれまでの映画のロイヤリティ料を支払っていなかったという判決を下し、2011年までにスーパーマンの映画の製作を開始できなければシーゲルとシャスターの遺族は損害賠償を請求できるとした。 2008年に『ダークナイト ライジング』の製作に参加していた、デヴィッド・S・ゴイヤーはワーナー・ブラザースが『スーパーマン』のリブートを計画していることを知り、自身のアイディアをクリストファー・ノーランに話した。ゴイヤーのコンセプトに感銘を受けたノーランは2010年2月にスタジオにアイデアを売り込んだ。『ダークナイト』の成功により、スタジオから信頼を得ていたノーランとゴイヤーは、プロデューサーと脚本家として雇われた。ノーランは『スーパーマン リターンズ』をリチャード・ドナーを賞賛しており、また『バットマン ビギンズ』で豪華キャストを起用した理由として『スーパーマン』を挙げ、「(マーロン・)ブランドとグレン・フォードとネッド・ビーティと全ての素晴らしい役者がいた」「当時のスーパーヒーロー映画としてはエキゾチックなアイデアだった」と語っている。ドナーの映画は子供時代の彼に影響を与え、それは「叙事詩的な映画とは何か、子供のころの試金石の一つ」であった。リブート版の監督としてギレルモ・デル・トロへ話が持ちかけられたが、彼は当時『狂気山脈』の映画化契約があったために断り、またロバート・ゼメキスにも声がかけられていた。さらにベン・アフレックが監督候補になっているという噂が流れ、アフレックはそれを否定しなかったが、「私が学んだのは、映画で重要なのは製作費にいくら掛けるや何処で撮影するかではない。ストーリこそが重要だ」と述べた。他にダーレン・アロノフスキー、ダンカン・ジョーンズ、ジョナサン・リーベスマン、マット・リーヴス、トニー・スコットが監督候補に挙がったが、2010年10月に最終的にザック・スナイダーが雇われた。キャスティングは11月より開始された。スーパーマン役はヘンリー・カヴィルに決まった。スーパーマンをアメリカ人以外の俳優が演じるのは史上初めてである。エイミー・アダムスはロイス・レイン、ダイアン・レインがマーサ・ケント、ケビン・コスナーがジョナサン・ケント、マイケル・シャノンが悪役のゾッド将軍、ラッセル・クロウがスーパーマンの実父のジョー=エルを演じる。またドイツ人女優のアンチュ・トラウェが悪役のファオラを演じる。撮影はバンクーバー・フィルム・スタジオ(英語版)で行われ、タイトルは『Man of Steel』となり、2013年に劇場公開された。本作はまたIMAXでも上映される。
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