『シングルマン』 〜 「わかってもらえるさ」とは? わかりやすく解説

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『シングルマン』 〜 「わかってもらえるさ」(暗黒期)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 03:41 UTC 版)

RCサクセション」の記事における「『シングルマン』 〜 「わかってもらえるさ」(暗黒期)」の解説

1975年仕事がほとんどなくなり活動休止状態になる。 1976年ホリプロとの契約が切れ、正式に「りぼん」に移籍レコード会社東芝音工からポリドール移籍3年1ヵ月振りシングルスローバラード」、3年4ヵ月振り3rdアルバムシングル・マン』をリリース。 更にキティレーベル(後のキティレコード)に移籍シングルわかってもらえるさ」を発売するが、すぐにそれらは廃盤となる。 『シングル・マン』には契約クレジットされなかったが、タワー・オブ・パワーミッキー吉野柴田義也らが参加。「わかってもらえるさ」ではメンバーに破廉がクレジットされているものの、破廉は極度鬱状態ギター弾けずギターはすべて忌野弾いた上記ゲストミュージシャン記載できなかったため「このレコード世界的ミュージシャン豊富に使用されおりますので安心してご利用くださいと書かれているジャケット使われているイラスト幼児児童絵画統覚検査図版金子出版)のもの。元本忌野探してきた。ジャケット描かれているRCサクセションロゴ忌野デザイン5万円で買った忌野愛車日産・サニークーペが廃車となる。井上陽水アルバム氷の世界」に提供した2曲の印税買ったと言われる。その愛車モデルに、この頃雨あがりの夜空に」の歌詞書かれた。 その後忌野は2台続け中古のサニークーペを購入当時一番安い中古車だったからである。 当時唯一の活動と言ってもよかったのが矢沢永吉井上陽水等の前座であったが、メインアクト目当て来ている観客からは「クソッタレ」「早く消えろ」等の罵声浴びせられることが少なくなかった矢沢永吉前座出演した際にはRC登場するやいなや観客から「帰れコール浴びせられた。忌野が客をからかって矢沢B吉でーす。永ちゃんはいま楽屋クソしてるんで僕らがやりまーす」と発言客席大混乱となり、演奏中絶えず「死ね」など怒号のような野次喰らう破廉ケンチ脱退実際は破廉の鬱症状あまりにも酷く、それが原因エレキギター弾けない事を見かねた忌野が馘にした)。 1978年頃から当時カルメン・マキ&OZ春日博文古井戸仲井戸麗市サポートギタリスト迎え渋谷ライブハウス屋根裏」を中心に活動若年層中心に絶大な支持得てライブ連日連夜満員となる。同時期にドラマー新井田耕造加入当時忌野は「シングル・マン以降暗黒期行き詰まり複雑なコード進行の曲ばかり作ってしまう悪循環に陥っていた反省から、シンプルなコード進行の曲であってもロックダイナミズムを持つローリング・ストーンズ楽曲研究重ねたこの頃セックス・ピストルズジョニー・ロットン影響を受け、それまで長くしていた髪を切り落とすステージで髪の毛立てた奇抜なメイクを施すようになった

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