セックス・ピストルズとは? わかりやすく解説

セックス・ピストルズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/15 15:00 UTC 版)

セックス・ピストルズ (英語: Sex Pistols) は、イングランドパンク・ロックバンド


注釈

  1. ^ 20分を超えるような曲がアルバムに収録されたり歌詞が複雑かつ難解なものが多くなったり、コンスタントに新曲を発表し難くなりシーンが飽きられた等の事情が挙げられる。この傾向はジョン・ボーナムの死により解散したレッド・ツェッペリンやメンバー間の不和により最終的に訴訟トラブルにまで発展したピンク・フロイドが代表的な例である。
  2. ^ マルコムはアメリカで2週間ほどニューヨーク・ドールズのマネージャーを務めたことがあり、ニューヨーク・パンク・ムーヴメントをイギリスでも流行らせたいと思っていた
  3. ^ 彼はピストルズの熱心な「追っかけ」であり、ルックスも良く、ポゴダンスを生み出し、ライヴ会場では様々な武勇伝で有名だった
  4. ^ デビューして間もない頃からバンドは保守層に敵視されており、以前から演奏会場では中止運動が頻繁に発生していた。
  5. ^ クリスは1996年2007年の再結成のライヴ盤のプロデュースも行っている
  6. ^ 日本盤はヴァージン提携先の変遷に伴いめまぐるしく販売元が変更された。後の2012年にはバンドがユニバーサルミュージックと世界契約したため、各国のユニバーサルミュージックからの発売となった。
  7. ^ ナチスの戦犯で絞首刑の判決を受け処刑前に自殺したが、1972年まで死体が見つからなかったため南米逃亡説があった。本人かどうかは不明だが、映画『ザ・グレイト・ロックンロール・スウィンドル』でもナチスの制服を着用した男が登場している
  8. ^ ちなみに、それまでアナーキーという言葉は左翼インテリの間でしか使われていなかった言葉で、事実上ピストルズがこの言葉を一般に広めたといえる
  9. ^ ピストルズ加入以前のジョニー・ロットンは、プログレッシブ・ロックバンドの権威的存在ピンク・フロイドの公認Tシャツに自分で「I hate」と書いて街を歩くような、独自のセンスと批判精神を兼ね備えた有名な不良だった

出典



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セックス・ピストルズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 05:11 UTC 版)

ジョン・ライドン」の記事における「セックス・ピストルズ」の解説

小学生時代とは打って変わり中学生からのライドン退学処分を受けるほどの不良となり、10代後半マルコム・マクラーレンデザイナーヴィヴィアン・ウエストウッド共同経営者)のブティックSex」に頻繁に出入りするうになる。この店を溜まり場としていたライドンリーダー格とする不良グループジョンズ”は、メンバー全員の名がjohnであることから名づけられた。 1975年マクラーレンアメリカバンドニューヨーク・ドールズとの小ツアーから帰りスティーヴ・ジョーンズポール・クックと共に新たなバンド結成模索していたとき、ライドン現れた。ライドンは「I Hate」とサインペンなぐり書きされたピンク・フロイドTシャツ着ており、店内でのオーディションアリス・クーパーの「エイティーン」を歌った。そしてバンド加入バンド名はセックス・ピストルズに決まる。ピストルズは「アナーキー・イン・ザ・UK」や「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」などの歴史的な曲を発表しパンクの有名バンドとなった。曲は主に、メンバーグレン・マトロック書いていた。 ピストルズ後期ライドンは、ヘロイン中毒である親友シド・ヴィシャス薬物治療の手助けをするが、結局シド・ヴィシャスヘロインやめられまともに演奏できる状態ではなくなった。メンバー間の不仲頂点達しバンド最悪の状態になり、1978年1月14日アメリカツアーサンフランシスコ最終公演最後にライドン脱退表明。ラストライブの最後に騙された気分どうだいと言い放っている。脱退表明時にはロック死んだ」と宣言した。後に、シド・ヴィシャス恋人ナンシー死亡している。

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セックス・ピストルズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 18:16 UTC 版)

シド・ヴィシャス」の記事における「セックス・ピストルズ」の解説

元々彼は、セックス・ピストルズの熱狂的なファン一人であり、ファンの頃からピストルズライブ中に記者が邪魔でピストルズ見えないと言ってその記者ベルト代わりにつけていた自転車チェーンで殴るなど、目立った存在だった。同時期に「ポゴダンス」(ライブ垂直にピョンピョンジャンプすること)を発明している。(シド曰く発明した理由は「ライブ会場にいる敵を潰すためにジャンプして上から潰す!」という事らしい。) 1976年9月21日、ライブ・イベントThe 100 Club Punk Special(英語: 100 Club Punk Special)でダムド演奏中に何者かが投げたグラスに当たり、その破片によって観客女性片目失明するという事件が発生した。このときシドグラス投げた犯人として逮捕されたものの、証拠不充分により告訴取り下げられ釈放されている。しかしスリッツのヴィヴ・アルバーティン(英語: Viv Albertine)は彼女の自叙伝の中で「グラス投げたのは自分だ」と1年後になってシド告白していたことを明かしている。 ヴィシャスジョニー・ロットンファッション関係の専門学校時代からの友人でもあった。その縁もあって初代ベーシストにして唯一の作曲者グレン・マトロックがセックス・ピストルズを脱退すると、バンドマネージャーであったマルコム・マクラーレン誘いがあって、後任ベーシストとなった当時セックス・ピストルズのメンバー間では、スティーヴ・ジョーンズポール・クックは非常に仲が良く、常に行動をともにしており、ポールスティーブグレンロットンという対立の構図があった。マネージャーマルコム仲を取り持つ事をせず、メンバー間をいがみ合わせるように流言した。グレン折り合い悪かったロットンは、グレン脱退後スティーブポールに対して発言権強めたい目論見もあって親友であったシドベーシストにと強力にマクラーレンプッシュしたのである。その話の直前ダムドフロントマンとしてオーディション受けており、最終選考まで残ったのだが、最終選考日に寝坊してすっぽかした為、ダムドフロントマンになり損ねている。

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