「走水」の名の由来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/04 09:30 UTC 版)
「走水神社 (神戸市)」の記事における「「走水」の名の由来」の解説
元来神戸市中央区は、摂津国に属し、夙川から旧生田川までの地域が菟原郡(うはらぐん)、旧生田川から須磨までの地域が八部郡(やたべぐん)と呼ばれていた(なお、東灘区にあるJR住吉駅の南にあるうはらホールという区民ホールの名の由来は、これである)。 八部郡には、生田郷・神戸郷・宇治郷という3つの郷があった。このうち宇治郷に流れていた川は宇治川と呼ばれ、この川は1938年(昭和13年)の阪神大水害を契機に改修工事が行われ、現在(2006年)は大倉山の東側を流れ、山手幹線を越えるあたりから宇治川商店街の地下を流れ、ハーバーランドの東側に流れる川となっている。 「走水」という名前の由来となった宇治川は、雨が降るたびに「走り渦」で河水が渦を作って流れ、その流域の村はさまざまな被害にあってきた。これにより、この流域にあった村が走水村とよばれるようになった。 「はしうど」由来にはもう一つの説がある。この地域に、天皇に仕えていた氏族の間人が住みついたことから「はしひと」とよぶようになり、のちにそれがなまって「はしうど」となり、「走水」の字があてられた、という説である。 尚、当地で代々寺子屋教育で有名であった間人氏は明治19年11月、間人幼児保育所を創立した間人たね子(はしうどたねこ)(弘化4年1月13日生~大正10年3月18日死去)を出している。
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