「糞地」裁判とは? わかりやすく解説

糞地筆禍事件

(「糞地」裁判 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/23 05:14 UTC 版)

「糞地」筆禍事件(ふんちひっかじけん)、または「糞地」裁判1965年韓国で起きた事件。南廷賢の短篇小説분지 (糞地)」が反共法に問われた。




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「糞地」裁判

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糞地筆禍事件」の記事における「「糞地」裁判」の解説

現代文学1965年3月号に掲載された「糞地」は、米国韓国の政治力学的関係を例証的に映し出した作品であるが、発表され直後はそれが問題視されることはなかった。それが、「糞地」が北朝鮮の文学雑誌統一戦線』(1965年5月8日)に一字一句訂正されることなく掲載され、また在日朝鮮人雑誌統一評論』に翻訳掲載されたことを、朴正煕政府問題視した。南は1965年7月9日中央情報部に拘束される数日後警察側引き渡され逃亡疑念がないことを理由一度釈放されたが、1966年7月12日反共法違反容疑起訴された。 第1回公判1966年9月6日開かれた起訴状からみる「糞地」の問題点として、 北傀の対南戦略決定的障害となっている韓米間の紐帯離間することを画策している。 大韓民国あたかも米国植民地統治隷属されているかのように描かれている。 駐屯米軍あたかもあらゆる野蛮な虐殺乱行ほしいままにし、韓国民生命財産無限に脅かしているかのように描かれている。 北傀の対南赤化戦略常套活動登場したのである。 を挙げている。 第2回公判1966年10月18日開かれ第3回目公判1967年2月8日開かれた裁判の焦点は「糞地」が共産主義のっとったのであるか否かであった。この裁判言論界大きな波を引き起こし、ハン・スンホン、キム・ドゥヒョン李恒寧の腕利き弁護士無償弁護に立ち、安寿吉李御寧被告人側の証人として弁護した。また朝鮮総連通じて「糞地」裁判が日本伝わり日本反米主義者や反政府主義者韓国政府糾弾するなど、一時日本でも騒がれた。 結果として有罪となり、禁固7か月実刑判決下ったその後執行猶予付加され釈放された)。

※この「「糞地」裁判」の解説は、「糞地筆禍事件」の解説の一部です。
「「糞地」裁判」を含む「糞地筆禍事件」の記事については、「糞地筆禍事件」の概要を参照ください。

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