「技のデパート」舞の海
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「佐田の山晋松」の記事における「「技のデパート」舞の海」の解説
舞の海秀平に対しては「立ち合いに頭で当たらず、技も何をやっても良い」と角界では異例の指導を行い、後に「技のデパート」と呼ばれる才能を開花させた。しかし当初は舞の海の入門に対して不可解に思っており、舞の海が現役引退後の2001年10月30日に東海村文化センターで行った講演では、出羽海が「山形(の高校教諭)の内定が決まり、あまりにも身長が小さいので本当に入門する気なのか確認したかった」と考えていた様子が明らかになった。身長の目溢しを期待し、当時角界ナンバー2の存在だった出羽海を師匠に選んだ舞の海は、一度目の検査で入門できなかったことに対して、その真意を知るまで不信感を抱いていたことも語った。 1991年3月場所開催中のある日、舞の海は交通渋滞によって土俵入りに参加出来なかった。このことについて翌日、師匠から雷を落とされるか、破門されるかと恐れていたところ、出羽海からは「昨日どうして勝ったかわかるか?土俵入りに遅れたから緊張しないで相撲が取れたのだ。今日も遅刻してみろ」と豪快に笑い、お咎め無しで済んだという。 部屋での稽古中、舞の海は相手力士の歯を折ってしまったことがある。差し歯には高額な費用が必要だったために持ち合わせが無く、意を決して出羽海に事情を話して借金した。後日返済に行くと「何のことだ?お前に貸した覚えはない。そんなことより相撲を頑張れ」と突っぱねられたという。 舞の海が引退した時は、既に部屋を10代出羽海(元関脇・鷲羽山)に譲渡して境川親方となり、理事長も退いていたが、舞の海が引退挨拶に訪れて協会には残らず外から相撲界を支える事を告げられた佐田の山は「外から支える人も大切だ、頑張れ」と舞の海に伝えて送り出した。その後、現在まで佐田の山の弟弟子である北の富士勝昭と共に舞の海はNHKの専属解説者として活躍している。
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