「宇宙の真理」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/04/25 06:21 UTC 版)
ワカン・タンカを始め、「大いなる神秘」はしばしば英語で「グレート・スピリット」(大精神)だとか「神」であると説明されるが、実際にはこの「大いなる神秘」の概念は「宇宙の根本原理」であり、キリスト教のような人格化された存在ではなく、偶像も存在しない。スー族の呪い師ターカ・イシテ(レイムディアー)は、ワカン・タンカについて、「ひとつの力」であり、「髭を生やした老人であるとか、そういう人の姿をしたような存在では決してない」と述べている。ワカン・タンカは、この世のありとあらゆるものに宿っている。 「宇宙の真理」、「創造主」である「ワカン・タンカ」には始まりも終わりもなく、この「大いなる神秘」のもとで「二つ足も四つ足も、石も草も木も」すべてが平等である。インディアンの精神世界では、人間以外のものを呼ぶ際も、「熊のひとたち」、「石のひとたち」、「鳥のひとたち」といったふうに呼ばれ、人間も人間以外のものもはっきりと区別されない。スー族では「イクトミ」を始め、様々な精神が信仰されているが、これらもすべて人間とともに「ワカン・タンカ」のもとにある、インディアンの兄弟姉妹なのである。インディアンの社会には「上司」や「部下」、「上意下達」といった、上下関係というものが無い。すべての事どもは「大いなる神秘」のもとに平等であり、尊重されるべき存在だからである。 ワカン・タンカ(大いなる神秘)のもとではすべてが平等な存在であり、キリスト教の神であっても、インディアンと対等な存在となる。19世紀のインディアンが残した言葉に、次のようなものがある。「白人は教会でイエスについて話すが、我々インディアンはティーピーでイエスと話をするのだ」。 一神教であるキリスト教も、「宇宙の真理」のひとつと考えるため、インディアンにとっては矛盾なく古来の信仰と両立するのである。逆にキリスト教者にしてみると、「大いなる神秘」は「イエスより至上の存在」と映るため、インディアンたちは白人から「インディアンは神を持たない野蛮人だ」との宗教的迫害に常に晒され続けている。 スー族を始め、インディアンはこの「大いなる神秘」の意のままに生かされている、と考える。よって、「大いなる神秘」のもとに「すべてが繋がっており、すべては共有される」と考えるインディアンにとってその意に逆らう「我欲」や「欲望」、「独占」は軽蔑される。 インディアンの社会では現在でも身内が無くなれば家財一切を、思わぬ収入があればこれを「ギブアウェイ」(スー族の言葉では「オトハン」)として放出する。 「富を貯め込むこと」は、インディアンの社会では恥ずべきこととされる。 ワカン・タンカに捧げる最大の儀式が、夏至のころに行われる「サンダンスの儀式」である。レイムディアーはこの儀式での苦行についてこう説明している。 「この世界にあるものすべてはワカン・タンカが創造したものであり、ありとあらゆるものはすでにワカン・タンカのもとにある。だから人間にしてみれば、たったひとつ自分だけの持ち物であるこの身体を、気前よく生贄としてワカン・タンカに捧げてみせる。それがサンダンスの儀式なのだ」
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