「太平洋戦争」と「大東亜戦争」呼称
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「太平洋戦争」の記事における「「太平洋戦争」と「大東亜戦争」呼称」の解説
「大東亜戦争」も参照 ウィキソースにWikisource:大東亜戦争の呼称に関する公文書の原文があります。 日本では1925年(大正14年)の日米未来戦記などで「太平洋戦争」が使用されたが、1941年の開戦直後に「大東亜戦争」が閣議決定された(「亜」は「亜細亜」すなわちアジアの略語)。「アジアの欧米植民地を解放し、大東亜共栄圏を設立してアジアの自立を目指す」という理念を掲げた。植民地宗主国を中心に構成された連合国側にとっては都合が悪かったため、[要出典]戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の占領政策で「大東亜戦争」は「太平洋戦争」へ強制的に変更させられた。 GHQはプレス・コードなどで「大東亜戦争」の使用を新聞で避けるように指令し、1945年12月8日(開戦4周年)以降、新聞各紙でGHQ民間情報教育局作成の『太平洋戰爭史−真実なき軍国日本の崩壊』の掲載を開始。この満州事変から太平洋戦争までを連続させ日本の侵略と残虐行為を詳細に叙述した戦史の単行本10万部は完売、GHQ指導で学校教育でも奨励され、定着した。12月15日の神道指令では軍国主義・国家主義を連想させるとして「大東亜戦争」呼称の使用を公文書において禁止した(のち失効)。 翌1946年、法律や勅令の文言は「今次ノ戦争」と改められた。1960年頃から一種のタブー扱いとされ「大東亜戦争」はメディアでの使用は控えられており、日本政府はGHQの政策以降、現在まで公的には「今次戦争」「先の大戦」「第二次世界大戦」などを用いている。ただし2006年 - 2007年(平成18年度)の政府見解では「大東亜戦争」「太平洋戦争」の定義を定める法令はないとされた。
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