NWA (プロレス)
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システム
NWAは本部をセントルイスに構え、これを頂点として各国のプロモーターの個人加盟(団体単位ではない)によって成り立っている [16]。加盟を認められるには審査を受けなければならない。年1回、毎年8月か9月に総会が開かれる。その他、必要に応じて臨時の総会や役員会が開かれる。NWAの加盟により、主に以下のようなことが可能となる。
- NWA認定の王者を招聘することができる。
- 他のプロモーターからのルートで様々な外国人レスラーを招聘することができる(逆に言えば、NWA非加盟団体はNWA傘下のプロモーターに選手を斡旋してもらえずに興行上大きく不利になる。旗揚げ直後の新日本がまさにこれであった)。
また、NWAに加盟するために以下の条件がつけられる。
- NWAに加盟できるのは1つの地区で一人のプロモーターに限り、同じ地区のプロモーターの加盟は認めない。
- 加盟プロモーターが所属する団体のタイトルから「世界」の表記を外さなくてはならない。
- これはNWAが認定する世界タイトルが本部が直轄するものだけであったためである(全日本のPWFヘビー級王座や新日本のNWFヘビー級王座がこれに当たる。また、WWFもNWAに加盟した際、「世界」の表記を外している)。
- NWA本部が認定しているのは、NWA世界ヘビー級王座、NWA世界ジュニアヘビー級王座(オクラホマ地区のレロイ・マクガークに管理を一任)、NWA世界ライトヘビー級王座(メキシコのEMLL、サルバドール・ルテロに管理を一任)のみである。その他の王座は各会員が、それぞれの地区で世界ヘビー級王座以外のものを認定管理することが許可されていた。
- また、NWAでは世界タッグ王座は認定せず、各テリトリーでNWA世界タッグ王座を管理していた。全日本のPWF世界タッグ王座がその一例である(NWAが認可、PWFが認定)。なお、EMLL(後のCMLL)は独自にNWA世界ライトヘビー級王座、NWA世界ミドル級王座、NWA世界ウェルター級王座を管理していた。その後、EMLLはNWAを脱退して2010年8月13日にNWA世界ライトヘビー級王座、NWA世界ミドル級王座、NWA世界ウェルター級王座の名称を変更して、NWAが非公認、CMLLが管理するNWA世界ヒストリック・ライトヘビー級王座、NWA世界ヒストリック・ミドル級王座、NWA世界ヒストリック・ウェルター級王座となる[17]。さらに世界女子王座に至ってはファビュラス・ムーラが王座に君臨していた時代にはムーラ個人により管理されていた(WWF王座も同様)[18]。
- ^ a b *Tim Hornbaker (2007). National Wrestling Alliance: The Untold Story of the Monopoly that Strangled Pro Wrestling. ECW Press. ISBN 9781550227413
- ^ “St. Louis Wrestling Club”. Kayfabe Memories. 2010年3月11日閲覧。
- ^ *Eric Bischoff, Jeremy Roberts (2006). Controversy Creates Cash (pg. 60). World Wrestling Entertainment Books. ISBN 1-4165-2729-X
- ^ “NWA strips TNA, Cage, Team 3-D of NWA World Championships (NWA本部による公式声明)”. National Wrestling Alliance (2007年5月13日). 2009年10月13日閲覧。
- ^ “NWA PRESIDENT BRUCE THARPE ON CORGAN ACQUIRING NWA”. PWInsider (2017年5月1日). 2020年7月23日閲覧。
- ^ これらの王座以外にも『NWA』の名を冠する王座が存在しているが、現在のNWAは認定しておらず、非公認の王座となっている。
- ^ リック・フレアーを破りNWA王者となったロニー・ガービンを招聘出来なかったりと、NWAと全日本とのパイプが徐々に薄れていた。
- ^ 加盟時代は三冠ヘビー級王座等、PWFタイトルマッチの選手権試合宣言で、「この試合はNWAが認可し、PWFが認定する」という明文及び、認定者もNWAとPWFの会長連名とされていたが、脱退後はNWAの認可明文がなくなり「PWFが認定する」に変わった。
- ^ NWAの有力プロモーター・レスラーとは馬場のアメリカ修業時代以来の強い関係があったこと、馬場が日本が本拠地でありながらNWAの第一副会長を長らく務めるなど有力者であったことで、全日本側が優遇された。
- ^ 『週刊プロレスSPECIAL 日本プロレス事件史vol.8』P73(2015年、ベースボール・マガジン社)ISBN 978-4-583-62269-9
- ^ ZERO1 Returns to the National Wrestling Alliance (NWA)! - ZERO1 USA・2011年1月6日
- ^ 『NWAより挑戦表明が届きました。』(プレスリリース)新日本プロレスリング株式会社、2013年3月6日 。
- ^ 主軸から外れている外国人レスラーやベテランを挑戦者に起用し、タイトルマッチもIWGP王座をメインに、NWA王座をセミファイナルにする等、差別化を図っている。
- ^ 『2015年11月5日 11・15後楽園大会の対戦カード発表会見』(プレスリリース)株式会社スターダム、2015年11月5日 。
- ^ なお、全日本プロレスのリングで同王座の防衛戦が最後に行われたのは1989年3月8日のリッキー・スティムボートVS2代目タイガーマスク(三沢光晴)戦以来であり、約35年ぶりの全日本プロレスでのタイトルマッチ開催となった。
- ^ その為、団体が消滅してもNWA会員のままでいるケースもあり、過去に日本プロレスの社長でNWAの名義人であった芳の里淳三は、日プロが崩壊した後も数年間NWAの会員に名を連ねている。
- ^ “プロレス王座変遷史 CMLL”. Wrestling-Titles.com (2009年). 2009-10-29T23:02Z閲覧。
- ^ ロッシー小川. “NO9 起死回生の日米対抗戦”. 2013年1月26日閲覧。
- ^ “プロレス王座変遷史: ナショナル・レスリング・アソシエーション”. Wrestling-Titles.com (2009年). 2009-10-29T23:02Z閲覧。
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