BIZEN中南米美術館 森下グループ

BIZEN中南米美術館

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/29 02:18 UTC 版)

森下グループ

1904年(明治37年)10月、森下精一は岡山県和気郡日生村(現・備前市日生町)に生まれた[2]。父親は雑貨販売と漁網製造を行っており、精一が高等小学校を卒業すると、父親とともに関西九州でも漁網の売り込みを手伝っている[2]。25歳だった1929年(昭和4年)に父親の跡を継いで独立[2]。東洋麻糸紡績(のちの東洋繊維、現在のトスコ)の漁網用ラミーの特約販売店となると、西日本から朝鮮半島にまで販路を拡大し、漁網用ラミーではシェア80%を占めた[2]太平洋戦争中には大砲や戦車を覆う擬装網なども手掛け、戦後には動力編網機を導入して製造能力を拡大した[2]

1947年(昭和22年)に有限会社森下製網所を設立[2]。1948年(昭和23年)に香川経済専門学校(現・香川大学経済学部)を卒業した長男の森下一之介が入社すると、東洋レーヨン(現・東レ)が開発した新合成繊維のナイロンの製造を開始[2]。ナイロン製の漁網は従来の漁網の十数倍の耐久力があり、日本国外の漁網市場も席巻した[2]。1956年(昭和31年)には有限会社から株式会社に変更している[2]。1957年(昭和32年)にはラミネート製輸送袋などを製造する森下化学工業を設立し、その他にもさまざまな分野で20社以上の企業を設立して、レジャー用品、ゴルフ練習場、フェリー運航、ガソリンスタンド経営などに手を広げた[2]。1960年(昭和35年)頃の売上高は国外6割・国内4割の比率であり、「漁網の森下」と呼ばれていた[2]。精一は森下グループの総帥として各企業を統括し、和気郡日生町の町議会議員(十数年間)、日生信用金庫理事長、浄土真宗西念寺総代長も務めた[2]。精一は社員にも得意先にも謙虚であり続け、毎朝一番に出社して社員と挨拶を交わした[2]

1978年(昭和53年)には森下精一の長男である一之介が森下魚網製造(製造)と森下製網所(販売)の社長に、次男である行雄が森下化学工業の社長に就任[2]。精一は同年に亡くなった[2]。一之介は森下グループの総帥を務める傍らで、岡山県教育委員(1984年-1998年)[2]、岡山県教育委員長(1998年-)[2]、日生信用金庫理事長などを務めた。漁網の需要が落ち込んだため、ゴルフ練習場ネットなど漁網以外の品目にシフトした[2]

1996年(平成8年)には森下一之介の次男である矢須之が森下グループ総帥に就任[2]。この頃の森下製網所は売上高50億円・社員80人であり、森下グループ全体では売上高130億円・社員1250人だった[2]。グループは18企業・1財団法人からなり、タイインドネシア中国に現地法人を持っていた[2]。しかし、ゴルフ練習場への過大投資などが理由で経営が行き詰まり、2004年(平成16年)にはグループ全体の売上高が113億円まで落ち込んだ[2]。ゴルフ関連事業や不動産事業から撤退、森下グループ14社を森下製網所と森下化学工業の2社に集約し、社長も森下家以外の人間に交代した[2]。森下グループ発祥の地である本社工場を売却し拠点を岡山県瀬戸内市長船町磯上に移す。また、日生と小豆島を結ぶ瀬戸内観光汽船両備グループに売却した[2]。2014年、森下株式会社と森下化学工業株式会社はレンゴー子会社のマルソルホールディングス株式会社に吸収合併され、法人格としては解散した[3]。ただしマンソルホールディングスが同日に「森下株式会社」と改称し、「森下」のブランドは存続した[3]。2015年、上記「森下株式会社」は、同じくレンゴー子会社の日本マタイ株式会社に吸収合併され[4]、日本マタイの岡山事業所・岡山工場(岡山県瀬戸内市長船町磯上)となった。

森下家

  • 森下金吉
    • 森下精一(1904-1978) : 森下製網所社長(森下グループ総帥)
      • 長男 森下一之介 : 森下魚網製造社長、森下製網所社長(森下グループ総帥)
        • 長男
        • 次男 森下矢須之(1956-) : 森下魚網製造社長、森下製網所社長(森下グループ総帥)
      • 次男 森下行雄 : 森下化学工業社長

  1. ^ ただし、一週間以上前に2人以上で予約を入れれば、休館日も開館することがある。


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