1940年東京オリンピック 関連楽曲

1940年東京オリンピック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/20 02:07 UTC 版)

関連楽曲

  • 「東京オリンピック」
    • 作詞:佐々木緑亭、作曲:阿部盛、歌:小野巡 & 浅草さくら子。ミリオンレコード、1937年6月発売

脚注

参考文献

関連項目


注釈

  1. ^ 東京開催決定後の1937年にイギリス領セイロン(現・スリランカ)の国内オリンピック委員会が発足している。なお、アジアの数少ない独立国であったタイに国内オリンピック委員会が発足したのは第二次世界大戦後の1948年である。また、満洲国は満洲国体育協会を国内オリンピック委員会としてIOCに加盟申請をおこなったが、中華民国とイギリス、アメリカの反対により承認を得られていなかった。

出典

  1. ^ #高松宮日記2巻330頁『十一月二十七日 学校(略)四時、副島伯来談。近々また体育協会のオリンピ〔ッ〕ク打合せ会のため渡欧のよし。血圧二〇〇とかにて側近者心配しておるとのこと。又会では日本でオリンピックをやるやうにせよと云ふ用むきなるも、東京でスタヂアムをつくるに金はないだらうし、伊国にユズッた方がどうもよさそうだから、具合悪い使命だとのこと。また、話に、英国は大層よく(日本に対し)なつたが、米国は極めて悪いとのこと。何んとか今から、手段をつくして戦争にならぬ様にしたいものだ。』
  2. ^ a b c d e f 岡俊孝「伊・エチオピア紛争(一九三五年)と日伊関係の展開」(1989年)
  3. ^ 平田勉「国立国会図書館デジタルコレクション 十九 國際オリムピツクは東京へ」『東京市政最近のプロフイル』民衆自治会、1936年、86頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1275001/48 国立国会図書館デジタルコレクション 
  4. ^ a b c #昭和天皇実録七巻79頁『(昭和十一年三月)二十七日 金曜日(IOC会長を御引見)午前十一時五分、鳳凰ノ間において、今般渡米の国際オリンピック委員会会長伯爵アンリ・ド・バイエ=ラトゥールベルギー人に謁見を仰せ付けられる。日本の運動施設等につき会話を交わされる。なお、バイエ=ラトゥールは、三月十九日日本郵船秩父丸にて来日し、オリンピック東京開催に関する検分のため各施設を視察の上、四月九日離日する。(以下略)』
  5. ^ 昭和11年3月28日官報第2769号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ6『◎謁見 國際オリムピック委員會長伯爵アンリ、ド、バイエ、ラツール今般渡來ニ付敬意ヲ表スルタメし白國臨時代理大使モーリス、イヴエインス、デークート同伴昨二十七日午前十一時 天皇陛下ニ謁見仰付ケラレタリ』
  6. ^ #高松宮日記2巻411頁『四月二十五日 日曜。雨(略)一六〇〇、オリンピック委員会へ、「ワルソー」へ二十八日龍田丸に〔て〕出発する伯爵副島委員に会ふ。どうも牛塚市長が五百万円を握ってゐて、市の利益のためとか云つて競技場月島案を固執するので困るが、市長の任期満了も五月すぐだし、再選はあり得ないし、そしたら神宮競技場拡張案に本腰にきまつて進むだらうが、どうも外国より日本の中が駄目なので、外国でも立場がなくてこまると話てゐた。病体にて全く気の毒なことなり』
  7. ^ #昭和天皇実録七巻120頁『(昭和十一年六月)二日(オリンピック東京招致のため出発の副島道正に賜謁)鳳凰ノ間において、オリンピック東京招致のため欧州へ出発の伯爵副島道正に謁を賜う。副島は、6月4日横浜出港、英国において招致活動を行った後、七月二十四日ベルリンに移動し、三十日・三十一日の両日にわたり同地において開催の国際オリンピック委員会に出席する。(以下略)』
  8. ^ 昭和11年6月3日官報第2824号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ13『◎拝謁竝賢所参拝 今般歐米ヘ出發ノ伯爵副島道正ハ昨二日午前十一時 天皇陛下ニ拝謁畢テ 賢所参拝仰付ケラレタリ』
  9. ^ 【東京五輪】過去の日本招致は挑戦と失敗の連続 スポーツ報知、2013年9月9日閲覧
  10. ^ 橋本一夫『幻の東京オリンピック』P.96
  11. ^ 『写真週報』にみる昭和の世相”. トピックス. アジア歴史資料センター. 2013年9月8日閲覧。
  12. ^ 国立国会図書館オンライン | National Diet Library Online”. ndlonline.ndl.go.jp. 2019年10月24日閲覧。
  13. ^ 「満洲方面に於て一触即発の情勢にあるから国民を緊張せよと云うのが、指導原理でなければならぬじゃないか、然るに一触即発は満洲にあるんだ、内地じゃ『オリンピック』をやって宜しいんだ、そう云うような誤魔化しの答弁をやって、議会を通ろうとすることは、軍人(内閣総理大臣林銑十郎)の取るべきところではない」(第七十回帝国議会衆議院予算委員会議事録(速記)第十五回”. 国立国会図書館. 2018年11月27日閲覧。
  14. ^ 池井優『オリンピックの政治学』P.108、丸善ライブラリー
  15. ^ 『読売新聞』2005年5月18日朝刊東京本社13版13頁コラム「新日本語の現場」
  16. ^ https://twitter.com/nhk_td_idaten/status/1181011277059153920
  17. ^ 野津謙『野津謙の世界』国際企画、1979年、170-171頁


「1940年東京オリンピック」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「1940年東京オリンピック」の関連用語

1940年東京オリンピックのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



1940年東京オリンピックのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの1940年東京オリンピック (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS