鹿地亘
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鹿地 亘(かじ わたる、本名:瀬口貢(せぐち みつぎ)、1903年5月1日 - 1982年7月26日)は、日本の小説家。大分県西国東郡岬村(現・豊後高田市)出身。東京帝国大学国文科卒業、東京帝国大学大学院博士課程修了[1]。妻は池田辛子。
- ^ a b c d 20世紀日本人名事典
- ^ 鹿地亘「日本兵士の反戦運動」同成社 (1982/10)、同編「反戦資料」
- ^ a b c d e 法政大学大原社会問題研究所編著 『日本労働年鑑 特集版 太平洋戦争下の労働運動The Labour Year Book of Japan special ed.』1965年10月30日、労働旬報社刊。第四編 治安維持法と政治運動第三章 中国における日本人の反戦運動第一節 国民党地区 法政大学大原社会問題研究所、2000年2月22日公開。2016年10月15日閲覧。
- ^ 倉前盛通「悪の論理」 (日本工業新聞社、1979年、角川書店 (1980)
- ^ 加藤哲郎「『野坂参三・毛沢東・蔣介石』往復書簡」『文藝春秋』2004年6月号
- ^ 青山和夫の著書に『謀略熟練工』妙義出版 1957、『反戦政略 中国からみた日本』三崎書房 1972
- ^ 「米軍人には強制できぬ 証人喚問」『朝日新聞』、1952年12月24日、朝刊、7面。
- ^ 「鹿地監禁は知っていた 斉藤長官答弁」『朝日新聞』、1953年1月27日、朝刊、1面。
- ^ 「強制された”自供書”鹿地氏 米大使館の覚書に反論」『朝日新聞』、1953年1月28日、朝刊、7面。
- ^ 「行きづまった鹿地事件」『朝日新聞』、1953年1月18日。
- ^ 「鹿地被告、逆転無罪」『読売新聞』、1969年6月26日。
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