雍闓 雍闓の概要

雍闓

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 07:16 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

生涯

前漢雍歯の末裔とされている(「呂凱伝」)。

劉備の死後、蜀の支配を受けることに抵抗し太守正昂を殺害、張裔を捕縛して反乱を起こした。李厳は手紙を送って説得を試みた。しかし雍闓は「天には二つの太陽は無く、地には二人の王はいないという。しかし今は天下が三分されており、遠くの者は誰に属したらいいものか分からず戸惑っているのです」と答えたという。反乱は隣接する郡にも広がり、朱褒高定もこれに同調した。ただし永昌郡だけはこれに同調しなかった。

雍闓は、に服属していた交州士燮を通じ呉への帰服を申し出て、捕えていた張裔を呉に送った。また、呉の交州刺史であった歩騭の取次ぎも受け、雍闓は孫権から永昌太守に任命された。

雍闓は高定と共に永昌郡を襲撃したが、領民をまとめ郡境を塞いだ呂凱に侵攻を阻止された(「呂凱伝」)。これを受けて諸葛亮自らが李恢馬忠に軍勢を分けて討伐したが、雍闓は討伐軍が到達する前に、益州太守を名乗っていた王士とともに高定の部下に殺害された(『華陽国志』南中志)。

三国志演義

小説『三国志演義』では、劉備没後に南蛮王孟獲の扇動を受けて、反乱を起こした益州南部3郡の太守の一人として登場する。諸葛亮の討伐軍に抵抗するが、諸葛亮の計略にかかった高定の部下鄂煥に斬殺されている。




「雍闓」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  雍闓のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「雍闓」の関連用語

雍闓のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



雍闓のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの雍闓 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS