隅田川続俤
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初演の時の主な役割
- 法界坊、浅山主膳(二役) - 四代目市川團蔵
- 道具屋甚三 - 二代目藤川八蔵
- おさく - 二代目山下金作
- 野分姫 - 嵐村次郎
- 山崎屋勘十郎 - 二代目中村治郎三
- 永楽屋権左衛門 - 三代目今村七三郎
- 永楽屋手代要助実は吉田松若 - 染松七三郎
- お組 - 初代芳澤いろは
脚注
参考文献
- 渥美清太郎編 『日本戯曲全集第九巻歌舞伎篇第九輯 寛政期京阪世話狂言集』 春陽堂、1928年
- 黒木勘蔵校訂 『日本名著全集江戸文芸之部第二十八巻 歌謡音曲集』 日本名著全集刊行会、1929年
- 『名作歌舞伎全集第15巻 江戸世話狂言集』 東京創元社、1969年 ISBN 9784488025151
- 国立劇場芸能調査室編 『国立劇場上演資料集.293 隅田川続俤(第157回歌舞伎公演)』 国立劇場、1989年
- 五十嵐昌行 『日本文化論入門』 2003年 ISBN 9784835559728
- 五十川晶子 『歌舞伎アラカルト』 2004年 ISBN 9784569636528
関連項目
- 隅田川物
- 穎玄:法界坊の元となった僧。
- 初代中村吉右衛門:法界坊
- 四代目中村芝翫:法界坊
- 十代目岩井半四郎:法界坊
- 七代目嵐徳三郎:野分姫
- 十八代目中村勘三郎:法界坊、写真集『中村勘九郎 法界坊』を出版する他、2007年には平成中村座ニューヨーク公演で演じている。
外部リンク
- 歌舞伎演目案内 隅田川続俤~法界坊 - 歌舞伎 on the web
注釈
- ^ 現行では甚平ではなく軍助となっている。軍助は初演の時の設定では甚平の兄で、舞台には出てこない人物だった。
- ^ ただしこのおさくと甚三の件り(二幕目・洲崎の場、三幕目・甚三内の場)は現在ほとんど上演されない。
- ^ 現行では要助とお組を助け、法界坊を殺すのは甚三になっている。
- ^ 現行ではこの場に甚三は登場せず、かわりに怨霊を押し返す押戻が出るが、これも無いことが多い。
- ^ 安永4年(1775年)春、江戸中村座初演。この大日坊というのはかの悪七兵衛景清のおじという設定で、他にも景清の妻の阿古屋が芸者お松という名で出てくるなど、実は何々という形で主要な登場人物を鎌倉時代の人物に当てはめていた。これは定例の春の曽我物の芝居として、内容を曽我に関連づけるための手法であった。
- ^ 法界坊の名は近松門左衛門の『雙生隅田川』(享保5年(1720年)8月、大坂竹本座初演)をはじめとして、幾つかの先行作に登場する。
- ^ 大坂の團蔵初演の時にもこの所作事の外題は『垣衣恋写絵』だったが、この時は常磐津ではなく初代鈴木万里による長唄系の唄浄瑠璃で演じられた(ただし伊原敏郎著『歌舞伎年表』は宮薗節の宮古路世里太夫と宮古路嶋太夫の出演とする)。のちに團蔵は天明8年(1788年)春の江戸森田座で法界坊を演じたが、その時にこの所作事の外題を『両面月姿絵』(ふたおもてつきのすがたえ)と改め、曲も常磐津にした。更に寛政10年(1798年)9月にも團蔵は森田座で法界坊を演じているが、現行で使われる『双面』の曲は、この寛政10年に演じられた常磐津浄瑠璃『両面月姿絵』に拠っており、さらにそれをところどころカットしたものを用いている。この寛政10年の曲と初演時の曲とでは、歌詞や構成にかなり相違が見られる。
- ^ 『二月の古典劇考察〔昭和三年二月本郷座所演〕』(近藤忠義―『演芸画報』昭和3・3)ならびに『双面』(今谷久平―『演芸画報』昭和15・11)より。今谷久平はこの演出について、「もし先の段四郎の型とすれば、大阪型でありましょう」とも述べている。「先の段四郎」とは初代市川猿之助(二代目市川段四郎)のこと。
出典
- 1 隅田川続俤とは
- 2 隅田川続俤の概要
- 3 あらすじ
- 4 解説
- 5 初演の時の主な役割
固有名詞の分類
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