長宗我部信親 関連作品

長宗我部信親

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/25 13:56 UTC 版)

関連作品

脚注

参考文献

書籍
  • 山本大『長宗我部元親』(新装版)吉川弘文館、1987年。ISBN 4642051031 
  • 平井上総 編『長宗我部元親』戎光祥出版、2014年。 
  • 平井上総『長宗我部元親・盛親』ミネルヴァ書房、2016年。 
  • 『長宗我部元親』学習研究社〈歴史群像シリーズ〉、2009年。 
史料
  • 『土佐物語』
  • 『フロイス日本史』

関連項目

  • 中富川の戦い
  • 名刀五輪切 - 江村親家が少年の頃に化け物を退治した折に使用した二尺一寸の小刀。親家より奉ぜられ、信親が所有した。

注釈

  1. ^ 天甫寺は廃寺となったため、雪繋寺に移された。
  2. ^ 「詞遣ひ、衣紋、立居行跡に至る迄、優にやさし(い)」(『土佐物語』)。「詞寡く礼譲ありて厳ならず、戯談すれどもみだりならず、諸士を愛し(た)」(『土佐物語』)。

出典

  1. ^ 宮本義己「信長の御墨付を楯に進められた四国計略戦」『歴史群像』29号、1992年。 
  2. ^ 林原美術館所蔵の古文書研究における新知見について―本能寺の変・四国説と関連する書簡を含む一般財団法人 林原美術館、岡山県立博物館、2014年06月23日
  3. ^ 平井 2014, p. 9-10, 「長宗我部元親の四国侵攻と外交関係」.
  4. ^ a b 山本, p. 138.
  5. ^ 山本, p. 139.
  6. ^ 山本, p. 138-140.
  7. ^ 山本, p. 140.
  8. ^ a b 山本, p. 141.
  9. ^ 平井 2016, p. 150.
  10. ^ a b 山本, p. 142.
  11. ^ 『土佐物語』 「(信親に)国人自ら敬い馴れ懐く事、父母の思(い)」
  12. ^ 『土佐物語』に、「常に3間(5.4m)の堀を飛び越え、落ち着かざる先に3尺5寸の太刀を抜き給う」と記される。
  13. ^ 山本, p. 143.


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