金解禁 世界恐慌と日本経済の混乱

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 金解禁の解説 > 世界恐慌と日本経済の混乱 

金解禁

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/12 18:11 UTC 版)

世界恐慌と日本経済の混乱

この1930年(昭和5年)に入ると、アメリカの恐慌が日本国内に影響を及ぼすようになった。折りしも濱口内閣は、金解禁に見合った為替相場を維持するためにデフレ政策を取っていたことから、金解禁から半年で日本の国内卸売物価は7%下落。また、対米為替相場は11.1%の円高、アメリカの国内卸売物価は2.3%下落していた。その結果、日本の国内市場は縮小し、輸出産業は円高によって国際競争力を失って不振に陥り、日本経済は二重の打撃を受けることになった。

濱口や井上は、アメリカが恐慌に陥っても世界経済の中心であるイギリス・ロンドンシティが安定していれば、恐慌はじきに収まるものと判断して、翌昭和6年度予算ではさらに大幅な歳出削減によって、総額14億5千万円にまで歳出を削減することとした。これに対して政友会や産業界、一般国民からは、金輸出の再停止か平価切下げ、さらに景気対策を求める声が噴出した。しかし、濱口内閣の路線は金融界からは支持された上、元老西園寺公望も、政友会が田中義一内閣時代に行った対中国強硬路線が招いた国際関係の悪化に不快感を抱いており、当分は立憲民政党内閣を継続させて、対外信用の回復に努めるのが望ましいと判断し、これを黙認したのである。

アメリカは金ドル交換を停止していたことから、金解禁直前より投機筋の思惑買いによる円買いドル売りが行われ、解禁後の恐慌の深刻化に伴って貿易の決済資金確保のための需要が加わり、さらに金への兌換と正貨の海外移送が行われるようになった。このため、わずか半年間で2億3千万円もの金と正貨が国外に流れ、元から日本国外に保有していたものの流出分を加えると、2億8千5百万円もの金と正貨が失われてしまったのである。

これに対して井上は、同年7月31日に横浜正金銀行に対して、必要な場合に正貨の現送を認めることを条件として、顧客の請求に応じて無制限にドルを売って為替相場の維持を図る「為替統制売り」を命じたのである。

だが、日本国内では金解禁直後から銀価格の暴落が始まり、同年6月には生糸価格の暴落、同年10月には米価の暴落が続いた。このために企業の倒産・合理化が激増して大量の失業者が発生し、中小企業農村は窮乏化した。さらに緊縮財政問題とも関連が強かったロンドン海軍軍縮条約締結を巡る統帥権干犯問題も絡んで軍部からも反感を買い、遂に同年11月14日に濱口首相が狙撃される事件も発生した。







英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「金解禁」の関連用語

金解禁のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



金解禁のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの金解禁 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS