釈奠
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参考文献
- 高田良助「釈奠」(『東洋歴史大辞典』(平凡社、1937年/縮刷版:臨川書店、1986年)ISBN 978-4-653-01472-0)
- 宇野精一「釈奠」(『中国思想辞典』(研文出版、1984年) ISBN 978-4-87636-043-7)
- 神谷正昌「釈奠」(『国史大辞典 8』(吉川弘文館、1987年) ISBN 978-4-642-00508-1)
- 丸山裕美子「釈奠」(『日本史大事典 4』(平凡社、1993年) ISBN 978-4-582-13104-8)
- 川口久雄/石破洋「釈奠」(『平安時代史事典』(角川書店、1994年) ISBN 978-4-040-31700-7)
- 中村羊一郎「釈奠」(『日本歴史大事典 2』(小学館、2000年) ISBN 978-4-09-523002-3)
- 溝川晃司「釈奠」(『日本古代史事典』(朝倉書店、2005年) ISBN 978-4-254-53014-8)
- 真瀬涼子「釈奠」(『日本中世史事典』(朝倉書店、2008年) ISBN 978-4-254-53015-5)
- 工藤航平「釈奠」(『江戸幕府大事典』(吉川弘文館、2009年) ISBN 978-4-642-01452-6)
- 江連隆『論語と孔子の事典』(大修館書店、1996年) ISBN 978-4-469-03208-6
- 西山松之助『湯島聖堂と江戸時代』(斯文会、1990年)
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- 戸川点「釈奠における三牲」(初出:虎尾俊哉 編『律令国家の政務と儀礼』(吉川弘文館、1995年)/所収:戸川『平安時代の政治秩序』(同成社、2018年)) 2018年、P57-76.
- 戸川点「釈奠と穢小考」(初出:服藤早苗・小嶋菜温子・増尾伸一郎・戸川点 編『ケガレの文化史-物語・ジェンダー・儀礼』(森話社、2005年)/所収:戸川『平安時代の政治秩序』(同成社、2018年)) 2018年、P77-92.
- 須藤敏夫『近世日本釈奠の研究』(思文閣出版、2001年) ISBN 978-4-7842-1070-1
- ^ 『석전대제 (釋奠大祭)』문화재청 (文化財庁) 。 (朝鮮語)
- ^ Decision of the Intergovernmental Committee: 6.COM 13.43, UNESCO, (2011)
- ^ 彌永貞三は吉備真備による釈奠の改革は一度に行われたものではなく、天平勝宝4年(752年)から翌年にかけて遣唐使として派遣された際にも『開元礼』など釈奠に関する新知識をもって帰国していると説く。
- ^ 戸川、2018年、P65-71.
- ^ 須藤敏夫、2001年、P176-180。ただし、48回中には『続徳川実紀』など文献史料の欠失で実施の有無そのものを確認できないものも含む。また、数が67×2=134回ではないのは、嘉永3年(1850年)には11月にも臨時の釈奠を行って同年のみ年3回実施されたことによる。
- ^ 孔子祀る「釈奠」控え 足利学校が企画展/伝統の儀式に思いはせ/巻物や祭器など貴重な資料展示『東京新聞』朝刊2018年11月18日(メトロポリタン面)2018年12月3日閲覧。
- ^ 旧閑谷学校で「釈菜」岡山県教育委員会(2018年12月3日閲覧)。
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