逮捕・監禁罪 概説

逮捕・監禁罪

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/30 19:40 UTC 版)

概説

保護法益

本罪は個人的自由に対する罪のうち自由に対する罪の一種であり、場所的移動の自由(人が一定の場所から移動する自由)を保護法益とする。

「現実的な自由」と「可能的な自由」

被害者が熟睡や泥酔のために一時的に自由な意思活動を行えない状態にある場合にも客体として保護されるかという点が問題となる。 熟睡している被害者のいる部屋を一時的に外から施錠し、目が覚める前に開錠した場合に監禁罪が成立するのかという事例で議論される。

学説は、現実に移動の意思があるときに移動できる自由という「現実的な自由」が侵害されることが必要とする立場(現実的自由説)と、もしも移動しようと思ったのであれば移動できる自由という「可能的な自由」あるいは「潜在的な自由」の侵害であれば良いとする立場(可能的自由説)が対立している。

現実的自由説は、自由の意識を欠く者の自由を侵害することはできないということを根拠として、現実に被害者の身体・行動の自由が侵害されることが必要であると考える。この説によれば上の事例は、単に鍵をかけただけでは監禁罪は成立せず、被害者が目を覚まし、自分が閉じ込められているという現実的な認識を得た時点から監禁罪が成立することになる。従って、施錠から開錠までの間に被害者が一度も目を覚まさず、自由が侵害されていることを現実には認識しなかった以上、監禁罪は成立しない。

一方、可能的自由説は、客観的に見て人の意思活動の自由を制限する危険があれば足りるとして、被害者が現実に自由を侵害されていると認識することまでは必要がないと述べる。そう考えると上の事例は、仮に「監禁」中に被害者が目を覚まして部屋から出ようとしたら、それが不可能だったのであるから、可能的な自由が侵害されている言える。よって、現実には被害者が監禁の事実を認識しなかったとしても、施錠した時点から監禁罪が成立する。

多数説は可能的自由説であるが、本罪は危険犯ではないなどとして、現実的自由説からの厳しい批判がある。

錯誤の問題

被害者が錯誤により、逮捕・監禁されているという事実を認識していない場合に、逮捕・監禁罪が成立するかどうかが争われている。 ここでも、保護法益を「現実的な自由」と見るか「可能的な自由」と見るかにより異なった帰結が導かれ、学説が対立している。

典型例としては、犯人が強姦の意図を隠して被害者を車に乗せたが、被害者は強姦目的だなどとは知らなかったため、降車を要求することもなく、自らが監禁状態にあることを全く認識していなかった、というケースである。

可能的自由説は前述のように、被害者の認識を不要と考える。そのため、被害者が監禁されていると認識していないこのようなケースでも、客観的・社会的に見て監禁と評価できる行為であれば監禁罪の成立を認める。

一方現実的自由説に立てば、被害者が現実的な自由の侵害を認識することが必要なので、このようなケースでは監禁罪は成立しない。もっとも、被害者が監禁されていることに気づき、降車を要求したのにもかかわらず監禁状態を継続すれば、その時点からは監禁罪となる。

これが問題となった事件で判例は、被害者に監禁の認識は必要ないとして、監禁罪の成立を認めている(広島高判昭和51年9月21日刑月8巻9=10号380頁)。








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