辻正孝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/11 04:54 UTC 版)
この存命人物の記事には、出典がまったくありません。 (2014年10月) |
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 東京都 |
生年月日 | 1950年1月5日(72歳) |
身長 体重 |
177 cm 76 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 1970年 ドラフト外 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
この表について
|
来歴・人物
習志野高から移った修徳高では1966年の夏の甲子園に出場。1回戦で鳴門工に敗れる。森二郎(駒沢大から電電東北を経て電電東京)がチームメイトだった。1966年のプロ野球第一次ドラフト会議で中日ドラゴンズから5位指名されるが入団せず。
その後、社会人野球のいすゞ自動車に入社。そこで野球をしていたところ、グローバルリーグの東京ドラゴンズに引っ張られ入団。
東京ドラゴンズでは4番を打ち、守備はうまくはないが、長打力が光る主砲であった。その後、グローバルリーグが解散し、1年間のブランクがあったものの、中日ドラゴンズの入団テストを受け合格。1970年オフにドラフト外で入団する。
しかし、わずか1年で自由契約となり、東映フライヤーズの入団テストを受け入団。
しかし、3年間のプロ生活で、一軍公式戦には一度も出場できず、1973年に引退。
詳細情報
年度別投手成績
- 一軍公式戦出場なし
背番号
- 57 (1971年)
- 55 (1972年 - 1973年)
関連項目
- 1 辻正孝とは
- 2 辻正孝の概要
- 辻正孝のページへのリンク