論理哲学論考 語りえぬもの

論理哲学論考

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/08 06:17 UTC 版)

語りえぬもの

『論考』、最後の命題「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」は形而上学の終焉を告知することばとして広く知られており、現在でもしばしば引用される。しかし、大方の了解とは異なり、この言明は神秘主義的で不可知論的な命題が語られているわけでも、あるいは逆に形而上学的な領域の存在を否定しているわけでもない。

『論考』においては、語られえないものは示されうる。命題的に語られうるものを最大限明晰に語りきることによって、語り得ず、ただ示されうる領域を示すことは可能であり、まさしく『論考』はそのような行為を遂行しようとしたのであった。

有意味な(即ち、真偽について判断を為しうる)命題として形而上学的、あるいは価値的領域(『人生の問題』)を語ることができない、という『論考』の主張は、そのような領域が存在することを否定するものではない。そうではなく、形而上学的領域を「語って」しまう形而上学は意味を為さない命題の集合に堕すほかない、ということを意味している。

決して、原理的に真偽について判断を為しうる種類の事柄ではない、ということは、それが、了解の外部にあるということではないし、言語を超えた、あるいは情緒的な、何か神秘的な了解のコミュニケーションがあるのだ、ということでもない。あくまでも「示されうること」は、平明で具体的な言語などの実践を通じて、その意味内容としてではなく効果として了解されうることを指すのである。

この主題系は、ジョン・L・オースティンの事実宣言的(コンスタティブ)と行為遂行的(パフォーマティブ)の区別とずれながらも一部重なるところもあり、何よりも後期ウィトゲンシュタイン自身によって『哲学探求』において追求された。そこでは言語は現実の像としてではなく、ある種のゲームにおける実践として捉えられている。







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