西尾城 西尾城の概要

西尾城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/24 17:43 UTC 版)

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西尾城
愛知県
本丸丑寅櫓
別名 鶴城、鶴ヶ城、錦丘城、西条城
城郭構造 梯郭式平山城
天守構造1585年築・非現存)
複合式望楼型3重4階(1645年頃改・非現存)
築城主 足利義氏
築城年 不明
主な城主 吉良氏酒井氏大給松平家など
廃城年 明治11年(1878年
遺構 曲輪、石垣、土塁、堀
指定文化財 市史跡[1]
再建造物 本丸丑寅櫓、鍮石門、二之丸丑寅櫓、土塀
位置 北緯34度51分58秒 東経137度2分51秒 / 北緯34.86611度 東経137.04750度 / 34.86611; 137.04750座標: 北緯34度51分58秒 東経137度2分51秒 / 北緯34.86611度 東経137.04750度 / 34.86611; 137.04750
地図
西尾城
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  1. ^ 西尾市の文化財 西尾城跡”. 西尾市. 2013年3月21日閲覧。
  2. ^ 西尾市歴史公園
  3. ^ 平井聖監修『 城 ④ 東海 天下人への夢を馳せる群雄の城』(毎日新聞社、1996年)
  4. ^ 西尾市資料館”. 西尾市役所. 2019年3月16日閲覧。
  5. ^ 今川義元判物写(三浦文書)』「弘治参年丁巳十月九日、就西尾在城参百貫文之分、所宛行之也」
  6. ^ 三河物語に、西尾の城にハ坂井(酒井)雅楽之助(正親)有て、と記載されている。
  7. ^ 『西尾市史』
  8. ^ 三河物語桶狭間の戦い後に、岡崎城に入城した徳川家康による三河国統一の過程で、「又有る時は、西尾の城を得」とある。その後、同書内の三河一向一揆の項目では、「西尾の城にハ坂井(酒井)雅楽之助(正親)有て」とある。
  9. ^ 『東照宮御実紀 巻二』には、「東條の吉良義昭今はまたく御敵となり。しばしば味方の兵と戦ひてやまざりしが。其弟荒川甲斐守頼持。兄弟の中よからねば御味方となり。酒井雅楽助正親を己が西尾の城に引入れしかば。吉良も終には利を失ひ味方に降参す。」とある。
  10. ^ 『家忠日記』(天正13年(1585年)2月5日の上)「惣国人足にて吉良之城つき上候」また、同日記に、「西尾城を守る」という記述もある。
  11. ^ 改正三河後風土記』永禄2年3月の直前に「吉良義昭、東條西條を兼領、義昭は西尾の城に居住し、東條を番手替りに守らせる」との記述がある。
  12. ^ 『静岡市史 中世近世史料2』所収、413-415頁(永禄3年(1560年)12月に、先の桶狭間の戦いで戦死の亡父・松井宗信の西条吉良氏攻めの武勲を賞する一文で)
  13. ^ 『新編岡崎市史6・史料編 古代中世』所収、「牧野文書」1055頁(永禄4年(1461年)に西尾城への家康軍来襲を防いだ嫡子稲垣藤助長茂を賞した文書中)


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