臧荼とは? わかりやすく解説

臧荼

作者塚本青史

収載図書凱歌の後
出版社講談社
刊行年月2008.1
シリーズ名講談社文庫


臧荼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/08 15:54 UTC 版)

臧 荼(ぞう と、? - 紀元前202年)は、末から前漢にかけての人物。

略歴

の将であったが、項羽に従い秦の章邯に包囲されたを救った。そのまま項羽に従い、関中に入った。高祖元年(紀元前206年)、項羽が天下を分けて諸侯を立てると、臧荼は燕王に立てられ、もともとの燕王だった韓広(趙王武臣の将)は遼東王に遷された。しかし、その年の内に臧荼は韓広を攻め滅ぼし、遼東を併合して燕全体の王となった。

高祖3年(紀元前204年)、趙の陳余を破った韓信は、広武君李左車の進言に従い、兵を休めると共に燕に使者を送った。燕王臧荼は韓信に帰順した。

高祖5年(紀元前202年)、劉邦が項羽を倒した後、楚王韓信、韓王信、淮南王英布、梁王彭越、元の衡山王呉芮、趙王張耳と共に王劉邦に「皇帝」の尊号を奉った。

その年に漢に対し反乱を起こした。反乱した理由は史書に記されていないが、部下の音詢が謀反を漢に密告したという。[1]。高祖劉邦自ら征伐に出向き、臧荼は捕らえられて処刑された。臧荼に代わって、盧綰(高祖の幼馴染)が燕王に封建された。子の臧衍は出奔して、匈奴へ亡命した。

なお、漢の武帝の実母である景帝王皇后の母は臧児といい、臧荼の孫娘に当たる。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 音詢,以燕將軍漢王四年從破曹咎軍,為燕相告燕王荼反,侯。以燕相國定盧綰『漢書 表 高恵皇后文功臣表』

参考文献




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「臧荼」の関連用語

臧荼のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



臧荼のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの臧荼 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS