総理各国事務衙門
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参考文献
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- 呉福環『清季総理衙門研究』新疆大学出版社、1995、ISBN 9576682703
外部リンク
- ^ 天津条約で開港を約束したのは、牛荘(奉天省)、登州(山東)、漢口(長江沿岸)、九江(長江沿岸)、鎮江(長江沿岸)、台南(台湾)、淡水(台湾)、汕頭(広東省)、瓊州(海南島)、南京(長江沿岸)の10港
- ^ ロバート・ハート(英:Sir Robert Hart、中:羅伯特·赫德, 1835年 - 1911年)は、1853年から1908年まで清に滞在した中国通。祖国イギリスでは男爵位に叙され、清朝からも1889年に正一品官に任ぜられた。
- ^ アンソン・バーリンゲーム(英:Anson Burlingame、中:蒲安臣、1820年 - 1870年)の欽差大臣任命:通常であれば外国公使を大臣に任命する事は有り得ないが、この時は「他に適任無し」として恭親王から上奏して認められた。この使節団はアメリカからヨーロッパに渡り、イギリス・フランス・プロイセン・ロシアを歴訪した。
- ^ 総理衙門の大臣数は、初期は3~5人だったが、後に9~11人に膨れ上がった。
- ^ 但し海関総税務司署を統べる総税務司は「最大貿易国がイギリスである限りはイギリス人を登用する」という約束に従って、代々イギリス人が務めていた。
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