米原インターチェンジ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/03 01:33 UTC 版)
概要
米原JCTのすぐ北にあるインターチェンジで、米原JCTとの間に米原本線料金所(検札所)が2007年(平成19年)5月31日まで設置されていた。
供用開始時からの呼び方は「まいばらインターチェンジ」となっていたが[4][5]、2001年6月に当時の町名である坂田郡米原町(まいはらちょう)に合わせる形で「まいはらインターチェンジ」に変更した[4][5][6][7]。しかし、2005年2月14日の坂田郡3町の合併で誕生した米原市(まいばらし)が鉄道駅の米原駅に名称を合わせたため[4]、地名とインターチェンジの名称の間に再びずれが生じることになった[5][6][7]。
道路
- E8 北陸自動車道(1番)
接続道路
料金所
2019年(令和元年)7月24日時点では以下の配置である[9]。
- ブース数:4
入口
- ブース数:2
- ETC専用:1
- ETC・一般:1
出口
- ブース数:2
- ETC専用:1
- ETC・一般:1
沿革
はじめに、名神高速道路の開通時に米原町(当時)にもインターチェンジを誘致することが考えられたが、農地を存続させる目的で断念した[10]。
その後、1967年(昭和42年)11月9日に北陸自動車道武生IC - 米原JCTの整備計画が決定され、滋賀県内には木之本ICと長浜ICが設置されることになったが、米原町にインターチェンジを設置することは長浜ICに近すぎるため当初は計画から外れた[11]。そこで、米原町は同年に北陸縦貫高速自動車道米原町審議会設置条例を制定し、町議会に北陸自動車道米原インター対策特別委員会が設けられ、町や議会をあげてインターチェンジ設置の誘致を粘り強く請願した[11]。その結果、整備計画への追加が1971年(昭和46年)12月14日に行われた[11]。
1974年(昭和49年)9月23日に滋賀県下の北陸自動車道の工事が起工され、1980年(昭和55年)4月7日に北陸自動車道敦賀IC - 米原JCTが先行して供用開始し[2][12]、同年6月19日に米原ICも供用開始された[1][2][13]。
周辺
- ^ a b c イカロス 2011, p. 39.
- ^ a b c 『高速道路五十年史』編集委員会(編) 『高速道路五十年史』東日本高速道路・中日本高速道路・西日本高速道路、2016年2月、資料27頁。
- ^ “滋賀県統計書 平成30年度(2018年度) 高速道路インターチェンジ別出入交通量” (PDF). 滋賀県総合企画部統計課 (2020年3月13日). 2021年1月23日閲覧。
- ^ a b c “米原市の読み方”. 米原市政策推進部情報政策課 (2017年12月22日). 2022年8月8日閲覧。
- ^ a b c “読める? 雲梯 徳次郎 埴生…増える「難読IC」”. 東洋経済オンライン (2022年2月21日). 2022年8月8日閲覧。
- ^ a b 佐滝剛弘 『高速道路ファン手帳』中公新書ラクレ、2016年8月10日、72頁。ISBN 978-4-12-150559-0。
- ^ a b 川口素生 『思わず人に話したくなる 関西「駅名」の謎』洋泉社、2017年3月2日、70頁。ISBN 978-4-8003-1166-5。
- ^ 2002 & 米原町史編さん委員会, p. 1221.
- ^ “05_hokuriku”. 中日本高速道路. 2019年8月15日閲覧。
- ^ 2002 & 米原町史編さん委員会, p. 1217.
- ^ a b c 2002 & 米原町史編さん委員会, p. 1220.
- ^ イカロス 2011, p. 61.
- ^ 2002 & 米原町史編さん委員会, pp. 1220–1221.
固有名詞の分類
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