睿宗 (朝鮮王) 睿宗 (朝鮮王)の概要

睿宗 (朝鮮王)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/29 03:08 UTC 版)

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睿宗 李晄
李朝
第8代国王
王朝 李朝
在位期間 1468年9月7日-1469年12月31日
姓・諱 李晄
平甫
廟号 睿宗
生年 景泰元年1月1日
1450年2月12日
没年 成化5年11月28日
1469年12月31日
世祖
貞熹王后尹氏
后妃
陵墓 昌陵

略歴

世子だった兄懿敬世子(桃源君)が病の為早世した為、代わりに1457年王世子となり、1468年に即位した。貞熹王后の摂政と重臣の補佐で国王の権力は大きく弱体化した。

睿宗の治世の間に、南怡の謀叛事件(1468年)や閔粋史獄(1469年実録の草本を収めた時に閔粋などが高官の非行を書いた内容が原因で、後になって紛糾や害悪が起こる可能性があり、それが恐ろしくて自分が作成した草本を修正した事件。連関者はある者は処刑されある者は奴婢に落とされた)などがあった。また1469年、商人李吉生が日本の商人だった時難而羅を欺く事が発生して、三浦での対日私務役(織物と食物の売買は除外)を禁止した。

病弱だったため19歳で薨去。在位期間は1年2ヶ月と短かった。陵は京畿道高陽市にある昌陵。

家系

宗室

  • 正室: 章順王后韓氏(1445年 - 1461年)- 上党府院君韓明澮の娘。死後追贈
    • 仁城大君 李霬朝鮮語版(1461年 - 1463年)
  • 継室: 安順王后韓氏(1445年? - 1499年)- 清川府院君韓伯倫朝鮮語版の娘
    • 顕粛公主朝鮮語版(1464年 - 1502年)- 任光載正室
    • 斉安大君 李琄朝鮮語版(1466年 - 1525年)
    • 恵順公主朝鮮語版(1468年 - 1469年)
    • 他、王子1人があったが夭折
  • 後宮: 恭嬪崔氏朝鮮語版(生没年不詳)- 崔道一の娘
    • 子女なし
  • 後宮: 李氏(生没年不詳) - 司憲監察 李義生の庶出の娘[1]

睿宗が登場する作品

映画
テレビドラマ

関連項目

先代:
世祖
李氏朝鮮国王
第8代:1468年 - 1469年
次代:
成宗

  1. ^ 「選司憲監察李義生妾女子, 入東宮.」朝鮮王朝実録 世祖実録31巻 世祖9年12月21日 乙巳3回目
  2. ^ 王様の事件手帖 Movie Walker 2019.3.28 09:40 (UTC) 閲覧


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