着差 (競馬)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/15 09:39 UTC 版)
短頭差、短首差
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日本以外では、「短頭差 (short head) 」「短首差 (short neck) 」なども用いられる。
優勝決定戦
大正以前の日本では1着が同着となった場合、馬主の希望によって1着馬を1頭とするための優勝決定戦が行われることがあった。優勝決定戦は1着同着馬のすべての馬主が実施を希望にする場合に行われた。たとえば2頭が同着となった場合、双方が希望する場合には優勝決定戦が行われ一方のみが希望する場合は希望した馬主の馬が1着(希望しなかった馬主の馬は2着)となり双方が希望しなかった場合には賞金を折半するといった処理がなされた。
デッドヒート
日本語では通例「デッドヒート (dead heat) 」といえば「激しい争い」のような意味で使われているが、本来は「同着」を表す競馬用語である。これは、19世紀まで盛んだったヒートレース(ヒート戦、ヒート競走ともいう)という競走形態に由来する。ヒート戦は1回のレースを1ヒートと呼び同じ馬たちが複数ヒート走り、ある馬が2ヒート連続で勝った時点でその馬の勝利とする勝ち抜き方式である。1着同着となった場合は勝ち馬が決まらないため、そのヒートは無駄なヒートになってしまうことから「デッドヒート」といわれた。
着差とレーティング
国際競馬統括機関連盟が毎年1月に発表するワールド・ベスト・レースホース・ランキングでは、一競走における競走馬間の能力比較について、「マイル戦で1馬身差=2ポンド[4]」、マイル戦より短い距離は差を大きく、マイル戦より長い距離は逆に差を小さく計算する。例えば1200mならば1馬身=2.5ポンドを適用する[5]。
しかし、海外では11馬身以上の着差についても正確に計測されるのに対し、日本では15馬身であろうと20馬身であろうと公式にはすべて「大差」と表記されるため、上位入線馬間にそのような着差が生じた場合の扱いが日本と海外では異なり、不平等である(たとえ日本で大差勝ちをしても、正確な計測がなされずに「11馬身」として実際より少なく処理されてしまう)との批判もある[要出典]。
特筆すべき着差の例
ランダルース
1980年生まれのアメリカスペンドスリフトファーム産鹿毛の牝馬、父シアトルスルー、母ストリップポーカー。ランダルース(Landaluce)は2歳の時にアメリカのハリウッドパーク競馬場で開催されるハリウッドラッシーステークス(アメリカG2)で21馬身差で優勝した。これは同競馬場での最大着差である。
ランダルースはアメリカの三冠馬シアトルスルーの初年度産駒でデビューから3か月の間に5連勝で最高格のG1であるオークリーフステークスに優勝し、シアトルスルーの子供としては最初のG1競走優勝馬となった。ランダルースは1か月後の1982年11月28日に伝染病で急死した。生涯で2着につけた着差の合計は46馬身。G1競走は僅か1勝であるにもかかわらず、その年のアメリカ2歳牝馬チャンピオン(エクリプス賞)に選ばれた。
ランダルースはタイキブリザードやパラダイスクリークの近親である。ハリウッドラッシーステークスは今ではランダルースステークスと改名されている。
セクレタリアト
20世紀のアメリカ名馬100選で20世紀で2番目に偉大な競走馬に選ばれたセクレタリアトは1970年生まれのアメリカ産牡馬で、1973年にアメリカの三冠を達成した。三冠目のベルモントステークスで2着に31馬身の大差をつけた。この競走は競馬の世界では大差の例としてよく引き合いに出される。このときの走破タイムは世界レコードで2021年現在、破られていない。詳細はセクレタリアト参照。
- ^ 上がり3ハロン36.0秒が60 km/h, 32.0秒が67.5 km/hに相当する。
- ^ “天皇賞・春、キタサンブラック差し返す サブちゃん熱唱”. 産経新聞フォト. (2016年5月1日) 2016年5月3日閲覧。
- ^ “【日本ダービー】マカヒキ8センチ鼻差で世代頂点に!川田が泣いた”. スポーツニッポン. (2016年5月30日) 2017年3月1日閲覧。
- ^ ポンド (lb)は0.454 kgに相当する。
- ^ 世界ランク日本馬ワンツー、最大の要因は着差 SANSPO.COM、2023年7月26日閲覧
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