的場直樹
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/17 20:51 UTC 版)
経歴
プロ入り前
中学3年時にはボーイズリーグ・ジュニアホークスで全国優勝[1]。上宮高では大場豊千(巨人)とのバッテリーで三木肇(ヤクルト)も同期。明治大学時代は3年春に小笠原孝(中日)と組んで優勝を経験。4年時は主将を務めながら同期の木塚敦志とバッテリーを組み、アマチュアNo.1捕手と評価された。東京六大学リーグは通算60試合出場、205打数50安打、打率.244、本塁打3、打点18で、ベストナインを2回受賞している。
1999年のドラフト会議において、福岡ダイエーホークスから3巡目で指名を受け、入団。また、2000年のシドニーオリンピックのアジア最終予選に日本代表の一員として出場した。
ダイエー・ソフトバンク時代
2000年には正捕手の城島健司が負傷したため、34試合に出場した。
2004年に開催されたアテネオリンピックで、野球日本代表に城島が選出されると、田口昌徳と共にその穴を埋めた。2005年には城島がケガで離脱した際にも大半の試合でスターティングメンバーを任され、4年ぶりに本塁打も2本打った。その年出場したプレーオフにおいても、城島が公式戦終盤に骨折欠場したため、正捕手を任された。
2006年に城島がシアトル・マリナーズへ移籍したことからチームの新正捕手争いが激化した。的場は経験・安定感に勝ることから最有力候補と目されており、開幕先発出場を勝ち取るなどシーズン序盤は常時先発出場をしていたが、自身の打撃難と山崎勝己の台頭によって、中盤以降は斉藤和巳専属捕手の形になった。プレーオフでは対戦相手の北海道日本ハムファイターズに優勝を決められた時に悔しさのあまりに号泣した。
2007年も引き続き、主に斉藤が先発する試合でマスクを被ったが、その斉藤本人が故障がちだったことや打力に秀でる田上秀則の台頭によって、前年よりもさらに出場機会が減少した。2008年は斉藤のケガが悪化したことでシーズンを棒に振ったことや、的山哲也の加入、さらに髙谷裕亮が起用されたことからほとんど出番がなく、先発出場は2試合のみ、トータルでも8試合出場に留まった。
2009年は一軍出場すら無い状態で、二軍でも38試合の出場に留まる。同年10月3日にソフトバンクから戦力外通告を受けた[2]。その後行われた12球団合同トライアウトを受験し、千葉ロッテマリーンズの秋季練習でテストを受け、同年11月20日にロッテへの入団が発表された。なお、戦力外通告を受け、トライアウトを経てロッテの入団テストに合格するまでの顛末は、『プロ野球戦力外通告・クビを宣告された男達2009』(TBSテレビ)で紹介された。
ロッテ時代
2010年は正捕手の里崎智也が離脱したこともあり、リードや守備での実力が認められ、一軍での出場機会を前シーズンから大幅に増やし「新たなるリストラの星」(「リストラの星」はソフトバンク時代の先輩・宮地克彦の代名詞だった)として注目された。この模様は『バース・デイ』(2010年5月1日)で「第2の野球人生 家族のために」として放送された。9月25日のオリックス・バファローズ戦ではプロ入り初の猛打賞を達成し、自己最多となるシーズン30安打を記録した。クライマックスシリーズでは里崎と併用で先発マスクを被り、リーグ優勝したソフトバンクを相手に「下剋上」を果たす。
ところが、2011年は27試合の出場に留まる。2012年は一軍出場無しとなり、同年10月7日付で戦力外通告を受け[3]、現役引退。
現役引退後
2013年は、古巣のソフトバンクに3年ぶりに復帰し、1年間スコアラーを務めた[4]。
10月26日、2014年から、北海道日本ハムファイターズの二軍バッテリーコーチを務めることが発表された[5]。その後、2017年まで同職を務め、同年限りで退団した[6]
10月19日、2018年より、ロッテの一軍戦略コーチ兼バッテリーコーチを務めることが発表された[7]。チームには一軍ヘッド兼内野守備走塁コーチの鳥越裕介がいるが、攻撃時は一塁ベースコーチを担当するため、的場はベンチで作戦面を担当する(なお鳥越はシーズン途中よりヘッドコーチ専任となった[8])。2019年からは、バッテリーコーチは「補佐」となった[9][10]。その後、2022年まで同コーチを務め、同年限りで井口資仁監督らと共に退任した[11]。
その後同年10月14日、2023年より、東北楽天ゴールデンイーグルスの一軍バッテリーコーチを務めることが発表された[12]
出典
- ^ 2000プロ野球プレイヤーズ名鑑 スポーツニッポン新聞社
- ^ “ソフトBが篠原、本間、的場に戦力外通告”. 日刊スポーツ (2009年10月3日). 2021年9月26日閲覧。
- ^ “戦力外通告のお知らせ”. 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト (2012年10月7日). 2021年9月26日閲覧。
- ^ “新入団のお知らせ”. 福岡ソフトバンクホークス・オフィシャルサイト (2012年12月10日). 2021年9月26日閲覧。
- ^ 『厚澤コーチ、的場コーチが就任会見』(プレスリリース)北海道日本ハムファイターズ、2013年10月26日 。2013年10月28日閲覧。
- ^ “コーチ退任のお知らせ|北海道日本ハムファイターズ”. 北海道日本ハムファイターズ (2017年10月7日). 2018年1月20日閲覧。
- ^ “的場直樹氏 一軍戦略兼バッテリーコーチ就任のお知らせ”. 千葉ロッテマリーンズ (2017年10月19日). 2017年10月21日閲覧。
- ^ “ロッテ、鳥越コーチをヘッド専任に 小坂2軍コーチが昇格”. スポーツニッポン. (2018年5月11日) 2021年12月21日閲覧。
- ^ “ロッテの来季コーチングスタッフが決定”. Full-Count (2018年11月1日). 2021年9月26日閲覧。
- ^ “ロッテが来季組閣発表、引退の福浦が2軍ヘッド兼打撃コーチ”. サンケイスポーツ (2019年11月1日). 2021年9月26日閲覧。
- ^ “ロッテ コーチ刷新 鳥越2軍監督退任 木村、河野、清水、的場コーチも任期満了で退団”. スポーツニッポン. (2022年10月6日) 2022年10月6日閲覧。
- ^ “楽天、来季のコーチ陣を発表 引退の川島慶三氏が2軍打撃コーチ、立花義家氏ら4人退任”. Full-Count (2022年10月14日). 2022年10月14日閲覧。
- ^ a b 『2000プロ野球プレイヤーズ名鑑』スポーツニッポン新聞社、2000年、15頁頁。T1117630040357。
- ^ a b c d ““下剋上”日本一のロッテを盛り上げた、的場直樹の存在”. BASEBALL KING (2016年3月29日). 2021年5月27日閲覧。
- ^ “72 的場 直樹 選手名鑑2021|千葉ロッテマリーンズ”. 千葉ロッテマリーンズ オフィシャルサイト. 2021年8月24日閲覧。
- ^ 『応援ありがとう!2005福岡ソフトバンクホークス激闘の軌跡』ソフトバンククリエイティブ、2005年、30頁頁。ISBN 4-7973-3331-6。
- ^ “https://twitter.com/ikuyaman130/status/815231571334574080”. Twitter. 2021年9月10日閲覧。
- ^ “選手登場曲”. 千葉ロッテマリーンズ公式サイト (2011年10月4日). 2011年10月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年10月10日閲覧。
注釈
- ^ 実家が寺院であるとは明記されていないが、家族構成に父親が当住職である的場彰生と記載されている。
固有名詞の分類
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