海柘榴市 (大和国) 馬家

海柘榴市 (大和国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/02 13:41 UTC 版)

馬家

『日本書紀』や『元興寺縁起』によると、敏達14年(585年)3月に「廃仏派の物部守屋善信尼ら3人のの衣服をはぎ取り、海柘榴市(都波岐市)の亭で晒して鞭打ち刑に処した」とある[5][2]。この亭(うまやたち)とは駅家のことで、海柘榴市には駅馬を飼育する厩舎や駅使の施設があった[2]。また、海柘榴市は人が集まる場所でもあったため、刑罰を見世物的に行う場所でもあった[5]

宿場と海柘榴市の終焉

平安時代に都で長谷観音詣が流行すると、参詣者の多くは前日に海柘榴市で泊まり、灯明などを買いそろえてから長谷寺に参詣するようになった。『枕草子』は「市は(中略)つば市。大和国に宿場は沢山あるけれど、長谷に詣でる人が必ずそこに泊まるのは、観音の縁であろうか、趣も特別である」と記す。また『小右記』にも正暦元年(990年)に「長谷寺にお参りした。午後に椿市に至り灯明の灯心器などを買い求めて御堂に詣でた」とある[9]。『源氏物語』でも玉鬘が長谷寺詣で椿市を訪れたときに右近と再会する場面が描かれている[2][20]

鎌倉時代以降に伊勢参りも盛んになると、西日本の人は大神神社と長谷寺にも参詣してから伊勢街道を東に行くようになる。江戸時代には庶民も伊勢講で旅をするようになり、付近の宿場が繁栄した。安永5年(1776年)に刊行された『雨月物語』の「蛇性の婬」にも、長谷寺詣の宿場として海柘榴市の名がみえる[2]。しかし、この頃には宿場の中心は海柘榴市から三輪市(現在の三輪恵比須神社付近)に移っていた[21][22]

脚注


注釈

  1. ^ 軽市には、阿斗桑市には、餌香市にはがあった[5]
  2. ^ 『古事記』では場所について「歌垣」とあるのみで、海柘榴市とは書かれていない[13]

出典

  1. ^ a b c d e f g 角川日本地名大辞典編纂委員会 1990, pp. 728–729.
  2. ^ a b c d e f g h i j 日本歴史地名大系 1981, p. 430.
  3. ^ a b c d e 桜井市史編纂委員会 1979, pp. 75–77.
  4. ^ a b c d 渡里恒信 2008, pp. 169–172.
  5. ^ a b c d e f g h i 渡辺昭五 1980, pp. 22–32.
  6. ^ 岸俊男 1970, pp. 406–408.
  7. ^ 渡里恒信 2008, pp. 166–169.
  8. ^ 桜井市史編纂委員会 1979, pp. 80–81.
  9. ^ a b c 中村修也 2001, pp. 35–40.
  10. ^ 樋口清之 1958, pp. 90–94.
  11. ^ a b 桜井市史編纂委員会 1979b, p. 788.
  12. ^ 桜井市史編纂委員会 1979b, pp. 752–753.
  13. ^ a b c 渡辺昭五 1980, pp. 1–7.
  14. ^ 佐藤四信 1974, pp. 58–61.
  15. ^ 佐藤四信 1974, pp. 61–63.
  16. ^ a b c d e 保田與重郎 1988, pp. 137–138.
  17. ^ a b c 佐竹昭広ほか 2014, pp. 380–381.
  18. ^ a b 佐竹昭広ほか 2014, pp. 394–395.
  19. ^ a b 佐竹昭広ほか 2014, pp. 412–413.
  20. ^ 桜井市史編纂委員会 1979b, pp. 792–793.
  21. ^ 桜井市史編纂委員会 1979b, pp. 520–526.
  22. ^ 桜井市史編纂委員会 1979, pp. 183–185.





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