津田梅子 栄典

津田梅子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 15:34 UTC 版)

栄典

位階
勲章等
外国勲章佩用允許

系譜

生家の津田家は、桓武平氏織田氏流で織田信長とは同族[165]。晩年に甥にあたる津田眞を養子に迎える。津田眞の娘・あい子と西郷隆盛の曾孫・西郷隆晄の次男として生まれた写真家津田直は祖父・津田眞と養子縁組をし、2000年津田梅子家当主を継いだ。また、司法通訳翻訳論者、社会学者、フィリピン研究者の津田守は又甥にあたる。梅子の伯母にあたる母 初の姉 武子/竹子は徳川家達の生母。梅子の祖母フクは栗沢汶右衛門(千人同心)の実姉と言われる。

関連作品

テレビ

映画

漫画

脚注

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注釈

  1. ^ 明治17年までの初回米国留学に関する公文書(アジア歴史資料センター)では「津田梅」が使用され、明治18年9月22日付官報・官庁彙報欄では「宮内省御用掛被仰付奏任官ニ準シ取扱候事 津田梅子」と表記されている。明治期の女性名での子の使用については「子 (人名)」参照。「ノート:津田梅子#本名」を参照。
  2. ^ 大正5年(1916年)に梅子が上梓した英文書籍 Girl's Taisho Readers, Tokyo: Kaiseikwan, 1916. では、梅子のフルネームは ”Umé Tsuda” とクレジットされている[3]津田塾大学・小平キャンパス構内にある梅子の墓所(昭和6年〈1931年〉に建立[4])の墓碑銘は ”UME TSUDA / DECEMBER 31-1864 / AUGUST 16-1929” である[5]
  3. ^ 瓜生繁子(旧姓:永井)が晩年に記した回想記に「洋服は二、三日でできあがってきて、私たちは幸せだった。」(原文は英語、亀田帛子による和訳、[13])と記載されている。
  4. ^ チャールズ・ランマン 英語版の著書は30点を超えるが、特に Private Life of Daniel Webster, 1852. が有名である[16]。チャールズ・ランマンは、アメリカ東部の著名知識人の一人であった[16]
  5. ^ ランマン夫妻には子供がなかった[19]
  6. ^ 現存する、梅子からランマン夫人あての最後の手紙は、明治44年(1911年)のものである[21]
  7. ^ 梅子は、世良田亮との縁談以外に、神田乃武(英学者)、中島力造(倫理学者)の2名とも縁談があったという[51][52]
  8. ^ 伊藤博文は、岩倉使節団の大使の一人であり、使節団と共に渡米した、梅子たち女子留学生の面倒を親身に見ていた[55]
  9. ^ 華族女学校の校長であった西村茂樹は、梅子の父である津田仙と同じく元・佐倉藩士であり、同じく明六社の社員であった[59]
  10. ^ 古川安の研究によると、梅子は2回目の留学にあたり辞職願を華族女学校に提出していた[64]。古川は、学習院院長の大鳥圭介と華族女学校校長の西村茂樹の取り計らいにより、留学から帰国した後も華族女学校に勤務するという条件で、同校教授としての俸給を受けながらの2年間の留学が認められたのであろう、と述べている[64]
  11. ^ 当時ブリンマー大学に在職していて1933年にノーベル生理学・医学賞を受賞するモーガンに師事、梅子はカエル卵の卵割と体軸の方向性について1891年から1892年にかけて実験を行い1892年の春に成果をまとめた。モーガンは1893年の春に華族女学校の教師津田うめとの共著論文として5章から構成される論文にまとめたが、梅子の成果は第2章にほぼそのままの形で使用された[68]。本人はおろか弟子、孫弟子8人がノーベル賞を受賞するモーガンの影響は、梅子にも計り知れないものがあった。
  12. ^ 古川安は、「保井コノが明治44年(1911年)にイギリスの Annals of Botany に論文を発表したのが、日本人女性の論文が欧米の学術雑誌に掲載された最初の事例である」とする論述が散見されるが、それは誤りであり、梅子は保井に17年先んじている、と述べている[70]
  13. ^ オーシロ・ジョージは、女子英学塾を支援し続けたフィラデルフィア委員会に参加した人々の多くが、梅子と親しかった新渡戸稲造・メアリ夫妻の人脈に連なる人々であったことを指摘している[82]
  14. ^ 明治33年(1900年)に梅子が女子英学塾を創設した際の新聞広告や報道記事には、必ず「女子英学塾 顧問 侯爵夫人大山捨松」と記載されている[86]。捨松は同年9月14日の開校式に出席し、『私立女子英学塾日誌』の記事には「大山侯爵夫人臨席」と特記されている[86]。侯爵夫人である捨松には、その名を連ね、その姿を見せるだけで、女子英学塾の信用を高めて梅子を助ける力があった。
  15. ^ 新渡戸稲造は、女子英学塾が開校した明治33年(1900年)9月にはアメリカに滞在していたが、明治34年(1901年)1月末に日本に帰国すると、塾での課外講義を何度も行って梅子を助けた[87]
  16. ^ 巌本善治は、二週間に一度、塾での課外講義を行って梅子を助けた[87]。巌本の講義は、塾の学生から人気が高かったという[87]
  17. ^ 上野栄三郎は、梅子の実姉である琴子の夫、クリスチャン、実業家[88]。現役の実業家として活躍しながら、塾の経営と経理財務を指導し、自らの社会的信用と人脈を駆使して、塾のために何度も資金調達を行った[88]
  18. ^ 明治33年(1900年)9月11日から13日までの3日間で「入学試験」を梅子とアリスの二人で行った[95]。ただし、この「入学試験」は、選抜試験ではなく、それぞれの学生の学力を把握して、適切なクラス(学年)に振り分けるための試験であった[95]
  19. ^ 中村千代松『実地精査 女子遊学便覧』(女子文壇社、1906年国立国会図書館デジタルコレクション)。
  20. ^ 塾の開校から10年以上が過ぎた1910年代半ばに塾で学んだ卒業生は、自分の卒業した高等女学校の英語教師が「本校での英語教育の目的は、結婚後に夫の洋書を本棚に逆さに並べないようにすること、輸入品の缶詰の中身が何なのか分かるようにすることである」という旨を言っていた、と回想している[98]
  21. ^ アリスは兼任していた女子高等師範学校嘱託[100]としての報酬で、梅子は女子高等師範学校講師としての報酬、山階宮家岩崎家三菱財閥)での家庭教師としての報酬で、それぞれ生活していた[101]。梅子とアリスは共に塾に住み込んでいたが、アリスは「家賃」を塾に支払って苦しい経営を助けた[101]
  22. ^ 明治37年の設立時の社団法人女子英学塾の理事は津田梅子、大山捨松の2名[114]。社員は巌本善治元田作之進新渡戸稲造桜井彦一郎上野栄三郎、阿波松之助の6名[114]
  23. ^ 無試験検定による教員免許状の授与権は、高等師範学校帝国大学・官立高等学校・官立専門学校、及び、「文部省が認可した公立学校・私立学校」に与えられていた[115]
  24. ^ 大正11年(1922年)の時点で、日本に「大学令に基づく女子大学」は未だ存在しなかった。女子英学塾を含め、日本の女子高等教育機関は、専門学校令に基づく旧制専門学校のレベルに留まっていた。
  25. ^ 関東大震災で東京市麹町区五番町の建物を全て失った塾の財産は、五番町の校地・小平の新校地のみであり、塾の基本金は5万円に満たなかった[124]
  26. ^ 昭和6年(1931年)の8月末に小平キャンパスの校舎や寄宿舎など主要な建物が竣工し、同年9月から小平キャンパスでの授業を開始した[131]。全工事が完了したのは昭和7年(1932年)1月30日、新築落成式が挙行されたのは同年5月21日であった[132]
  27. ^ 女子英学塾の英文校名は創設当初から”Tsuda College”であり、日本国内でも「津田塾」と通称されていた[133]
  28. ^ 昭和10年(1935年)頃からのアメリカ・イギリスとの関係悪化による「英語不要論」の台頭により、全国の高等女学校の英語科が全廃に近い状態になったことは、明治33年(1900年)の創設以来、「英語科教師の育成」を第一にして来た塾にとって強烈な逆風となった[134][135]。塾の卒業生の主な進路である英語科教師の需要は激減し、塾への入学志願者も激減した[135]。第2代塾長を務めていた星野あいは、昭和17年(1942年)に、理科(数学科と物理化学科)を増設して、校名から「英学」を外して「津田塾専門学校」とすることを決定して認可を申請し、昭和18年(1943年)1月に認可された[134]
  29. ^ 塾の小平キャンパスは、昭和20年(1945年)当時の東京市街地、軍需工場、軍事施設のいずれからも遠く離れており、太平洋戦争末期の空襲による被害を免れた。
  30. ^ 梅子が自ら塾の教壇に立っていた時代(明治33年〈1900年〉の開校から、大正5年〈1916年〉頃まで)、梅子のような「英語の正しい発音を教える能力」を有する英語教師は稀であった。
  31. ^ 津田塾大学 津田梅子資料室には、梅子が愛用した金側の懐中時計が所蔵されている(「津田塾大学デジタルアーカイブ」)。

出典

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