泗川の戦い 関連項目

泗川の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/14 17:38 UTC 版)

関連項目


  1. ^ 『島津家文書』 文禄5年(1596)12月5日付けの「唐入軍役人数船数等島津家分覚書」によれば、慶長の役当時、朝鮮へ出征した島津軍は戦闘要員が5,868人、非戦闘員が6,565人(夫丸3,900、加子2,000、道具衆665)であり、計は12,433人となっている。更に島津以久が332人、伊集院忠棟が2,332人で、島津軍の総計は、15,097人であった。朝鮮上陸から島津が大きく兵力を失うほどの敗戦はなかったため、泗川の戦いの頃にもほとんどの軍勢を保存していたと推測される。
  2. ^ このうち非戦闘員を除く実際の兵力は約8千人程度だった。
  3. ^ 『朝鮮宣祖実録』三十一年(1598)十月十二日によれば、泗川攻略に投入された明の中路軍は26,800人、朝鮮軍は2,215人と記録されている。
  4. ^ 『朝鮮宣祖実録』三十一年(1598)十月十日 「慶尚道觀察使鄭經世馳啓曰: 董都督初二日、入攻新寨之賊、打破城門、方欲入攻之際、茅遊撃陣中、火藥失火。蒼黄奔救、倭賊望見開門、突出放砲、天兵退遁、致死者、幾七千餘人、軍糧二千餘石、亦不爲衝火而退。伏屍盈野、兵糧、器械、狼藉於百三十里地、提督退還星州」
  5. ^ https://sillok.history.go.kr/id/wna_13110008_007 『朝鮮宣祖実録』"遂進攻新寨, 以大砲打破城門, 大兵欲入之際, 茅遊擊陣, 火藥失火, 陣中擾亂, 倭賊望見開門, 迎擊左右, 伏兵四起, 大兵蒼黃奔潰, 死亡之數, 幾至七八千, 提督退晋州’ 云矣。"
  6. ^ https://sillok.history.go.kr/id/wna_13110016_003 『朝鮮宣祖実録』”泗川之敗, 提督之軍, 過半致死”
  7. ^ 『島津家文書』には、島津忠恒の鹿児島方衆が10,108、島津義弘の帖佐方衆が9,520、冨隈(島津義久領)方衆が8,383、伊集院忠真の軍が6,560、北郷三久の軍が4,146、計38,717の首級を上げ、打ち捨てた死体数知れずと記録されている。また後述の通り『絵本太閤記』には、討ち取った明軍の数は3万余とある。《南浦文集·战亡文》や《新日本史》など日本側記録では「戦死者約8万人」とあるほか、朝鮮の『宣祖実録』の十月十二日の項には、この泗川の戦い・第二次蔚山城の戦い順天城の戦いの3つを合わせて、明・朝鮮連合軍11万以上が動員されたと記されている。
  8. ^ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「泗川の戦い」
  9. ^ 東郷吉太郎編 『泗川新寨戦捷之偉蹟』 「義弘公年譜抄」 薩藩史料調査会、1918年10月。
  10. ^ 明史によると、戦の終盤に固城の日本軍(立花軍)も襲来していたため、明軍は遂に大敗し潰走した。十月,董一元遣將四面攻城,用火器擊碎寨門,兵競前拔柵。忽營中火藥崩,烟焰漲天。倭乘勢衝擊,固城倭亦至,兵遂大潰,奔還晉州『明史 朝鮮伝』
  11. ^ 島津顕彰会編 『島津歴代略記』、1986年10月。
  12. ^ この時の2匹の狐にまつわる踊りが「吉左右踊り」で、鹿児島県無形民俗文化財に指定されている。
  13. ^ 三木靖 『島津義弘のすべて』 新人物往来社、1986年7月。ISBN 4404013566
  14. ^ 『朝鮮宣祖実録』三十一年(1598)十月十二日 「而三路之兵、蕩然俱潰、人心恟懼、荷擔而立」
  15. ^ 『明神宗実録』巻328, 萬暦二十六年十一月一日
  16. ^ 『朝鮮宣祖実録』三十一年(1598)十月十七日
  17. ^ 那波利貞 『月峯海上録攷釈』 1961年


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