柳本啓成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/16 15:05 UTC 版)
来歴
大阪府東大阪市に生まれ、小学2年生のときに奈良県に転居[2]。1991年に奈良育英高校からマツダSCに入団。同期は森山佳郎、森秀昭、笛真人、路木健、松山大輔、小倉一浩。トップチームであるマツダSCでの出場機会はなかった。
サンフレッチェ広島設立とともにプロ契約[3]。創設期の広島では若手選手No.1の人気を博し、全国的にアイドル的な存在だった。Jリーグ開幕時から右サイドバックのレギュラーであったが、8月に顎を骨折し戦線離脱。細身の武田修宏に弾き飛ばされた悔しさから、筋トレを真剣に取り組み強靭な体を造り上げた。1994年、センターバックに怪我人が相次いだため、センターバックにコンバートされると佐藤康之と抜群のコンビでサントリーシリーズ制覇に貢献。1995年以降は、チームの混迷や本人が嫌がったリベロでの起用のため、公然とチーム批判や監督批判を繰り広げた。
日本代表では加茂周監督時代に右サイドバックとして活躍。一時期はレギュラーに定着したが、その後怪我に泣かされ以降代表に縁がなくなった。
1999年、ガンバ大阪へ移籍。右ウイングバック、右サイドバックとしてプレー[4]。
2003年、セレッソ大阪へ移籍。3バックのストッパーやリベロの位置でプレーした[5]。
2005年7月、広島県出身のレポーター高尾晶子の紹介で知り合った女優・タレント岡元あつこと、8年間の友人関係を経て結婚。
2008年4月、株式会社DF3を設立し、地元奈良県でフットサル施設「YANAGI FIELD」を開業[2]。また、ジュニアチームYF NARA TESOROをGMとして率いる。
2019年11月、奈良市芝辻町に移転。公式戦も行われるフルコート1面フットサルコート1面を有する。
- ^ 2020年田島彩香と再婚。2022年5月には第一子となる來良が誕生。現在は奈良市在住プロフィール Jリーグ選手名鑑
- ^ a b “【あの人NOW!】元サッカー日本代表・柳本啓成さん 将来、代表選手を輩出したい”. ZAKZAK (産業経済新聞社). (2010年5月18日) 2017年2月19日閲覧。
- ^ “Jリーグキャリアサポートセンター:OBレポート:柳本啓成”. Jリーグ (2008年). 2013年4月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年2月19日閲覧。
- ^ 『週刊サッカーマガジン 別冊 春季号「まるごとJリーグ完全版〜栄光の記憶15年〜」』 ベースボール・マガジン社、51頁。
- ^ 『週刊サッカーマガジン 別冊 春季号「まるごとJリーグ完全版〜栄光の記憶15年〜」』 ベースボール・マガジン社、70頁。
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