松平康親
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参考文献
- 『新訂 寛政重修諸家譜 第六』 (続群書類従完成会、1984年)
- 『新編 藩翰譜 第二巻』(人物往来社、1967年)
- 『今川氏と観泉寺』(観泉寺史編纂刊行委員会編、1974年)
- 中島次太郎 『徳川家臣団の研究』 (国書刊行会、1966年刊行、1975年復刊)
- 松平君山(原著)「士林泝洄」(『名古屋叢書 続編』(第20巻)、1968年)
- 高野栄軒(編著)「諸士由緒記・全」/『長岡藩政史料集(2)』(『長岡市双書』 No.15、1991年)
- 柴裕之「徳川氏の駿河河東二郡支配と松井忠次」『戦国・織豊期大名徳川氏の領国支配』2014年、ISBN 9784872948844。(原論文は『戦国史研究』42号、2001年・45号、2003年)
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注釈
- ^ 当該文書で安堵を受けた大鏡坊は駿河国東部(現在の静岡県富士宮市)にあり、徳川氏領国だった時代の午年は天正10年に限定される。
- ^ 法応寺は昭和30年に廃寺となった。また、中島次太郎は『徳川家臣団の研究』の中で駮馬の法応寺跡に松平義春両名の墓と共に壮大な康親の墓があると述べている。東条城近くの法応寺跡には松平家忠・松平義春両名の墓と共に康親の墓があったが、同寺跡を地権者が売却し、土砂採取により乱開発され、家忠・義春両名の墓および康親の顕彰碑などは平成23年に吉良町岡山の花岳寺(東条吉良氏の菩提寺)境内に移築された。但し、死去した三枚橋城近隣の浄土宗乗運寺(静岡県沼津市)にも康親の墓が存在し、実際にはこの墓に葬られたらしい。また茨城県笠間市笠間の月崇寺にも墓所が存在する。
出典
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