日暮里大火 (1963年) 被害

日暮里大火 (1963年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/03 13:22 UTC 版)

被害

日暮里大火による負傷者は約220名(うち消防隊13名)・罹災者は326名(78世帯)に上ったものの、1人の死者も出さずに済んだ。火災の規模に対し死者の出なかった理由として、火災の発生が昼間であったため避難が容易だった点があげられる。

大火による焼失は36棟、5098m2であった[5]

原因

この火災が発生し、大火となった主な原因をあげる。

  • 火元となった作業場は寝具を製造する工場で、ウレタンフォームを材料としたマットレスなどを主に製造し、またポリスチレンペーパーを材料としたなども製造していた。製品の材料に可燃性の物質を使用していたにもかかわらず、作業場では喫煙所の指定が行なわれていなかった。また、消火設備は小型の消火器を3本用意しているのみであった。一方、延焼した東部ラバーに集積されていた特殊可燃物の量も、届け出のおよそ2倍であった。
  • 延焼した日暮里町2丁目一帯は、廃品回収業者が多く各所にボロ布・紙製品・ゴムなどが山積みされていた。建物は老朽化した木造建築物が大半を占め、道路の狭さと車両の駐車が消防車の通行を妨げた。
  • 駆けつけた消防隊が放水を行なったものの、消火栓から十分な水量を確保できなかった。これは、日暮里町2丁目付近が金町水系の末端に位置し、消火栓の水圧が低いためであった。
  • 火災当日は強い北風が吹き、空気が乾燥していた。この気象条件は、江戸時代江戸で発生した多くの大火の際と同様であった。日暮里大火と同じ時間帯に、大田区調布鵜ノ木町や練馬区北田中町でも火災が発生している。

対応

日暮里大火後の主な対応・対策などをあげる。

  • 出火の原因となったマッチ棒を投げ捨てた工員が、荒川警察署によって重失火罪で逮捕された。
  • 火勢拡大の原因となった特殊可燃物への対応として、貯蔵庫の構造を防火造りや耐火造りへ変更・野積み貯蔵に対する指導の強化・効果的な消火方法の検討などが行なわれた。
  • 黒煙や火の粉でを傷めた消防関係者が多く出たため、個人装備の充実が検討された。
  • 大火後、紙幣を金属容器内に保管する者が現れた。灰となった紙幣でも、日本銀行に持ち込めば灰の重量に応じて新しい紙幣と交換して貰えたためである。

脚注


  1. ^ 「日暮里大火」の名称は総務省消防庁の災害伝承情報データベース(外部リンク参照)などによる。『東京の消防百年の歩み』では「日暮里の大火」。
  2. ^ 気象庁の観測によれば午後2時の時点で快晴、北の風10.5m/s、湿度は17パーセントであった。 -『東京の消防百年の歩み』P.549
  3. ^ 危険物第4類・第1石油類に分類されるストロングPという接着剤が入っていた。 -『東京の消防百年の歩み』P.549
  4. ^ 日暮里大火 - 東京消防庁 2017年4月4日
  5. ^ 災害伝承情報データベースによる。『東京の消防百年の歩み』P.626での焼損面積は5087m2


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