文書仮説 2つの立場説

文書仮説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/18 21:11 UTC 版)

2つの立場説

旧約聖書を批判的に分析研究する学問を旧約聖書学の内、文書仮説高等批評といい、その研究の結果、『創世記』では、2つの立場(信仰)の「天地創造」が併記されていることが明らかになったと主張される。下記の経緯をたどった結果、祭司記者資料の部分ではいくつかの点でバビロニア神話との類似点が見られる。むしろ、バビロニア神話を含む先行する神話を素材にして、それらを換骨奪胎して、新しい天地創造物語を作り出したというのが実態に近い。以下にそのあらすじを示す。 ただし、保守的な教会はこれを認めていない。

アダムとエバ

『創世記』の創造の箇所は、聖書の文献批判的研究の聖書学での文書仮説では二つの異なる伝承の組み合わせになっていると考えられている。その分類に基づくアダムとエバの創造の記述は以下の通りである。

  • 祭司資料による伝承(『創世記』1:27–1:31)
    • (3日目に乾いた陸と植物が創られ、5日目に水中の生き物が創られ、6日目にまず地上の動物が創られた。)
    • 全能者である神エロヒムは自らにかたどって人間を創造した。
    • 男と女は同時に創造された。
    • 神は男女を祝福し、子孫を増やして地上に満ちて地を支配するよう命じた。
  • ヤハウィスト資料による伝承(『創世記』2:6–2:25)
    • 主なる神ヤハウェが天と地を作ったとき、地に木も草もまだ生えていなかった。神は雨を降らせていなかったが、地は「泉」(地下からの水)で潤っていた。神は土の塵(アダマ)から人(アダム)を形作り、その鼻から命の息吹を吹き込んだ。のち、草木を創りエデンの園を管理させた。
    • アダムが動物の中で自分に合うふさわしい助け手を見つけられなかったので、神はアダムを眠らせ、あばら骨の一部をとって女をつくった。
    • アダムは女を見て喜び、男(イシュ)からなったものという意味で女(イシャー)と名づけた。

一般にはヤハウィスト資料のアダムとエバの創造物語が有名であり、中世においては、この部分の記述から「男のあばら骨は女より一本少ない」と真剣に考えられていた。かつては(その解釈が聖書の著者の意図に沿っているのかどうかはともかく)女性蔑視の根拠となったこともあるが、祭司資料においてはより人間賛美的・男女同権的思想であるといえよう。[5]

文書仮説による天地創造の内容の理解

『創世記』1章1節 – 2章4節前半 天と地の創造

  • はじめに(ヘブライ語:ベレシース、beresit)、神により天と地が造られた。地には何もなく闇が水の面にあり神の霊が水面をおおっていた。神が「光(ヘブライ語:オール)あれ」といい、光が造られた。光と闇が別けられた。光が昼、闇が夜と名づけられた。夕があり朝があり第一日となった。
  • 二日目は水が上下に分けられて空が作られた。空は天と名づけられた。
  • 三日目は水を集め乾いた所をつくり、そこを地と名づけ、水の集まった場所を海と名づけた。地の上に草、種をもつ草、果樹が造られた。
  • 四日目は空に2つの大きな光体(ヘブライ語:マオール、発光体の複数形)を造る。大きい光体と小さい光体とが作られ昼と夜をつかさどらせた。
  • 五日目は水の生き物である海の大いなる獣と水の全ての動く生き物と翼ある全ての鳥が造られた。
  • 六日目は、地の生き物の家畜、這うもの、地の獣が造られた。神は「われわれのかたちに、われわれをかたどって人をつくり・・」と語り、海の魚、空の鳥、家畜、地の全ての獣・這うものを治めさせる人間の男と女を創造した。
アダムの創造。ミケランジェロによるシスティーナ礼拝堂の天井画より。

『創世記』2章4節後半 人の創造

神は土のちり(アダマ)で人(アダム)をつくり、その鼻に息(ルーアハ)を吹き入れ、人を創造する。また、神は、人・男の助け手として、男(イシュ)から取ったあばら骨から女(イシャー)を創造する。

『創世記』1章1節 – 2章4節前半:「祭司記者資料」

『創世記』1章1節 – 2章4節前半では、創造主をエロヒムと呼ぶ(なお漢訳聖書では「神」と訳し、明治の日本の聖書も訳語を引き継いだ)。 この物語の部分は、祭司記者資料と呼ばれる(頭文字を取りP資料ともいう)。紀元前587年に南王国ユダが新バビロニア帝国に敗れ、エルサレム神殿が徹底的に破壊され、その当時の指導者層の人々がバビロニアに連行された(これをバビロニア捕囚という)。規模は、数千人 - 数万人と言われている。圧倒的なバビロニアの神々の宗教(主神マルドゥク)に囲まれ、今までの神ヤハウェ信仰が危機の状態に陥り、民族が自信を失っていた。この様な状況の下で祭司職人(現在祭司記者と呼んでいる)の中から、バビロニアの神話に対抗する形で、自分たちの信仰書を作り出し(創造信仰)、この危機状況から再び生きる力を生み出していった。

バビロニアの創造物語は紀元前1500年頃に作られたと言われており、この祭司記者たちはその内容を知っていて、それを否定し乗り越えるかたちで神ヤハウェを受け止め直して信仰を記述している。例えば、その神話では、新バビロニアでは極端な階層社会であり、その頂点に立つ王だけが神・神の子であり政治支配の正当化を強めているが、『創世記』では人間は全て神から神の似姿として作り出され平等(みな神の子である)であることが主張され信仰告白されている。このように『創世記』は、素朴な伝承・神話などではなく、当時の知識階層が執筆した宗教書(表現形態は物語ではあるが神学書)である点が世界の他の天地創造物語とは異なる。

『創世記』2章4節後半 – 3章:「ヤハウィスト資料」

『創世記』2章4節後半 – 3章では、創造主をヤハウェ・エロヒムと呼ぶ(日本では主なる神または神である主と訳されている)。 この物語の部分は、ヤハウィスト(ヤーウィスト)資料と呼ばれる(同じくJ資料ともいう)。以前の学説では、ヤハウィスト(ヤーウィスト)資料は祭司記者資料よりも古いとされてきたが、研究が進み、表現形式・信仰内容も知識文学に近い部分もあり、現在では、上記バビロニア捕囚よりも後代という説が強くなってきている。この場合も、神話というものではなく、知識階層の人々が自分たちの信仰を執筆しており、ヤハウェ・エロヒムと人間に対し深い洞察がなされている。


  1. ^ For a brief overview of the Enlightenment struggle between scholarship and authority, see Richard Elliott Friedman, "Who Wrote the Bible?", pp. 20–21 (hardback original 1987, paperback HarperCollins edition 1989).
  2. ^ Gordon Wenham, "Exploring the Old Testament: Volume 1, the Pentateuch", (2003), pp. 162–163.
  3. ^ Richard Elliott Friedman, "Who Wrote the Bible?", pp. 22–24.
  4. ^ Richard Elliott Friedman, "Who Wrote the Bible?", p. 25, and Alexander Rofe, "Introduction to the Composition of the Pentateuch", (1999), ch. 2. また、下記も参照されたい。Raymond F. Surberg, "Wellhausianism Evaluated After a Century of Influence", section II, The Contribution of the Prolegomena from a Critical Viewpoint Archived 2009年2月11日, at the Wayback Machine..
  5. ^ 絹川久子著『聖書のフェミニズム-女性の自立をめざして』ヨルダン社 ISBN 4842800763


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