広隆寺
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文化財
国宝
- 桂宮院本堂(けいきゅういんほんどう) 附:厨子
- 木造弥勒菩薩半跏像(通称「宝冠弥勒」) - 解説は既述。
- 木造弥勒菩薩半跏像(通称「泣き弥勒」) - 霊宝殿に安置。像高90センチメートル(左足含む)、坐高66.4センチメートル。「宝冠弥勒」と同様のポーズをとる、像高はやや小さい半跏像である。朝鮮半島には現存しないクスノキ材製であるところから、7世紀末から8世紀初頭頃の日本製と見られるが異説もある。沈うつな表情で右手を頬に当てた様子が泣いているように見えることから「泣き弥勒」の通称がある。
- 木造阿弥陀如来坐像 - 講堂本尊。像高261.5センチメートル。両手を胸前に上げ、説法印を結ぶ。『資財帳』及び『実録帳』の講堂の項に「故尚蔵永原御息所願」とある像に該当し、承和年間(840年頃)の作とみられる。永原御息所とは淳和天皇女御の永原原姫である。巨大なヒノキの一材から頭・体の根幹部を彫出し、像表面には厚く木屎漆を盛り上げて整形している。二重円相の光背と裳懸座は一部に後補があるものの、当初のものを残している。[19]
- 木造不空羂索観音立像 - 像高313.6センチメートル。霊宝殿に安置。新霊宝殿が開館するまでは講堂外陣の東北隅にあった。奈良時代末~平安時代初期(8世紀末~9世紀初)の作。『実録帳』の金堂の項に「本自所奉安置」(弘仁9年・818年の広隆寺の火災以前から安置されていた、の意)として7体の仏像が列挙されているが、そのうちの「不空羂索菩薩檀像」とあるものに該当する。
- 木造千手観音立像 - 像高266.0センチメートル。霊宝殿に安置。新霊宝殿が開館するまでは講堂外陣の西北隅にあった。もと講堂に安置され、現在は霊宝殿に安置。平安時代初期、9世紀の作。
- 木造十二神将立像 - 像高は113 - 123センチメートル。霊宝殿に安置。『広隆寺来由記』によれば、康平7年(1064年)、仏師長勢の作。長勢は定朝の弟子にあたる。12体の作風はいくつかのグループに分かれ、12体すべてが長勢の作とはみなしがたい。片目をつぶり、矢の調整をしているさまを巧みに表現した安底羅大将像など数体が長勢の作に帰されている。12体の像名は以下のとおり(玄奘訳『薬師経』による名称。括弧内は広隆寺で用いている表記)。宮毘羅大将(金毘羅)、伐折羅大将(和耆羅)、迷企羅大将(弥佉羅)、安底羅大将(安底羅)、頞儞羅大将(摩尼羅)、珊底羅大将(宗藍羅)、因達羅大将(因陀羅)、波夷羅大将(婆耶羅)、摩虎羅大将(摩虎羅)、真達羅大将(真陀羅)、招杜羅大将(昭頭羅)、毘羯羅大将(毘伽羅)。
- 広隆寺縁起資財帳
- 広隆寺資財交替実録帳
重要文化財
- 講堂
- 絹本著色三千仏図
- 絹本著色十二天像
- 絹本著色准胝仏母図
- 紙本著色能恵法師絵詞
- 木造虚空蔵菩薩坐像(所在講堂)
- 木造地蔵菩薩坐像(所在講堂)
- 木造薬師如来立像 - 秘仏。11月22日のみ開扉。
- 塑造弥勒仏坐像
- 木造大日如来坐像(像高95.5cm、1917年重文指定)
- 木造大日如来坐像(像高74.5cm、1927年重文指定)
- 木造阿弥陀如来立像(もと桂宮院本堂安置)
- 木造五髻文殊菩薩坐像
- 木造聖観音立像
- 木造千手観音坐像 - 像内に□(寛)弘□(九)年四月十四日開眼の銘がある(寛弘9年は1012年)
- 木造如意輪観音半跏像(もと桂宮院本堂安置)
- 木造日光・月光菩薩立像
- 木造地蔵菩薩立像(埋木地蔵)
- 木造菩薩立像
- 木造不動明王坐像
- 木造毘沙門天立像
- 木造持国天・増長天・広目天立像[20]
- 木造多聞天立像
- 木造吉祥天立像(像高184.5cm、1917年重文指定)
- 木造吉祥天立像(像高168.0cm、1917年重文指定)
- 木造吉祥天立像(像高164.6cm、1902年重文指定)
- 木造吉祥天立像(像高142.2cm、1917年重文指定)
- 木造吉祥天立像(像高106.8cm、1938年重文指定)
- 木造聖徳太子半跏像(もと桂宮院本堂安置)
- 木造蔵王権現立像(像高100.4cm、1938年重文指定)
- 木造蔵王権現立像(像高96.4cm、1938年重文指定)
- 木造神像(伝秦河勝像)
- 木造女神(にょしん)坐像(伝秦河勝夫人像)
- 鉄鐘 - 建保五年(1217年)銘
※重要文化財の仏像のうち、虚空蔵菩薩坐像・地蔵菩薩坐像以外は霊宝殿に安置。
固有名詞の分類
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