帝国通信社 帝国通信社の概要

帝国通信社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/15 13:52 UTC 版)

株式会社帝国通信社
種類 株式会社
本社所在地 東京市京橋区山下町12
設立 1892年(明治25年)
解散 1929年(昭和4年)
業種 報道
事業内容 通信社
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概要

益田孝発起の時事通信社(1888年創立)と曽宮禄祐発起の新聞用達会社(1890年創立)が、1892年に合併して発起した。新聞紙上の略称帝通[注釈 1]

ただし、日清戦争初期の1894年7月26日から1年間は青木周蔵ロイターと密約を交わしており、日本政府が公式に外国向けに発表するニュースはロイターだけに提供されていた[1]

日本電報通信社(電通)、国際通信社(国通、のち日本新聞聯合社、日本新聞聯合社)と激しく競争した。

1927年にアメリカ合衆国INSと直接契約したが、国際通信社が提供していたロイター通信社外電配給サービスが終了したことなどから勢力が衰え、1929年に破産して解散。

沿革

フランスの無線電信局。
  • 1892年(明治25年)- 5月10日、新聞用達会社と時事通信社が合併して創立。社長は竹村良貞。本社は東京市京橋区山下町
  • 1906年(明治39年)- 国際無線電信会議を発足させた国際無線電信連合が非公式に設立[2]
  • 1923年(大正12年)- 6月、頼母木桂吉が社長に就任。資本金10万円の株式会社に改組。9月、関東大震災で社屋全壊を被る。
  • 1924年(大正13年)- 8月15日、フランスのボルドー無線電信局の受信を開始。9月30日、ドイツのナウエン無線電信局英語版と受信契約を締結。富田幸次郎社長に就任[3]
  • 1926年(昭和元年) - 取締役会と意見が合わず社長の越野宗太郎が辞任。
  • 1927年(昭和2年)- アメリカのINSと通信契約を結ぶ。
  • 1929年(昭和4年)- 3月28日、破産宣告を受ける。

エピソード

  • 日清戦争ののち、1898年に東京で開催された奠都三十年記念祝賀会に諸々の新聞社・通信社とともに協賛[4]
  • 1913年には国技館内で香りつきの夕刊を無料配布して話題になった[5]
  • 1916年(大正5年)、万年社、京華社支店、金水堂、倣蟻社、大阪電通、弘業社支店、広知社、旭広告とともに、大阪で新設した広告代理業団体「水曜会」に参加。

関連項目

脚注

注釈
出典

参考文献


  1. ^ 略称は新聞紙上のニュースのクレジットのれんである。
  1. ^ ウィキペディア『ロイター』。
  2. ^ ウィキペディア『無線通信』。
  3. ^ 日本新聞連盟『日本新聞百年史』 。1962年。
  4. ^ 東都沿革調査会『最新東京案内記 春の巻』。教育舎。1898年。
  5. ^ 報知新聞社『世紀を超えて : 報知新聞百二十年史 : 郵便報知からスポーツ報知まで』1993年。


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