安食 (岐阜市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/17 14:55 UTC 版)
地理
岐阜市北部に位置し、北は佐野・岩利、北東は彦坂北、東は彦坂南・彦坂、南東は岩谷、南は村山、西は則松に隣接している。
河川
小字
小字は以下の通り[5]。
- 志良古(しらこ)
- 竜巣前(りゅうすまえ)
- 三内前(みうちまえ)
- 五反田(ごたんだ)
- 竹田(たけだ)
- 川通(かわどおり)
- 上洞(かみぼら)
- 清水(しみず)
- 三内(みうち)
- 竜巣(りゅうす)
- 志良古洞(しらこぼら)
- 前平(まえひら)
- 竜巣洞(りゅうすぼら)
- 椎倉(しくら)
- 三内洞(みうちぼら)
- 殿洞(とのぼら)
- 立岩(たていわ)
- 鎌砥洞(かまどぼら)
- 瀬宇名(せうな)
- 北ヶ平(きたがひら)
- 伊山(いやま)
- 竹田洞(たけだぼら)
- 鈴ヶ坂(すずかさか)
- 荒毛(あらげ)
- 東浦(ひがしうら)
- 上洞前(かみぼらまえ)
- 水鶏畔(すいけいはん)
- 冷沢(ひえざわ)
- 宮地(みやじ)
歴史
江戸期は安食村であり、美濃国方県郡のうち。はじめ加納藩領、のち幕府領、さらに旗本蘆敷氏・戸田氏・幕府領大垣藩預り地(宝暦9年より)の2給地となる。村高は「慶長郷牒」「元和領知改帳」「正保郷帳」共に755石余、「天保郷帳」は761石余、「旧高旧領」は758石余(うち幕府領大垣藩預り地503石余・蘆敷戸田氏領258石余)。天保9年の村明細帳によると幕府領大垣藩預り地の戸数59(うち高持45・水呑13・寺1)、人口285、寺は山県郡掛村東光寺末寺禅宗岩松院、宮は熊野3社権現・神明宮・井深宮・八幡宮などがある。明治2年戸田氏領の戸数39・人口168・馬5。安政3年から明治5年まで加藤小三郎によって寺子屋開設、明治6年に謹申義校となる。同4年岐阜県に所属。同8年村山村を合併。「町村略誌」によれば家数177・人口813・馬36、荷積車36。同30年稲葉郡方県村の大字となる[6][7]。
年表
- 1871年(明治4年) - 岐阜県に所属。
- 1875年(明治8年) - 安食村と村山村が合併し安食村となる[7][8]。
- 1889年(明治22年)7月1日 - 町村制による方県郡安食村が発足。
- 1897年(明治30年)4月1日 - 安食村、佐野村、岩利村、彦坂村、石谷村が合併し稲葉郡方県村が発足。旧村山村は方県村大字村山[7]。旧安食村は方県村大字安食となる[8]。
- 1950年(昭和25年)8月20日 - 市橋村、茜部村、鶉村、黒野村、方県村が岐阜市に編入。岐阜市安食となる[9]。
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。
地域 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
安食 | 岐阜市立方県小学校[10] | 岐阜市立岐北中学校[10] |
字荒毛 | ||
字志良古 | ||
字竹田 | ||
字三内前 | ||
字竜巣前 | ||
一丁目 | ||
二丁目 | ||
三丁目 | ||
四丁目 | ||
五丁目 | ||
六丁目 |
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佐野・岩利 | 彦坂川北 | ![]() | |
則松 | ![]() |
彦坂川南・ 彦坂 | ||
![]() ![]() | ||||
![]() | ||||
村山 | 岩谷 |
- ^ a b “人口統計 - 地区別・町丁別世帯数及び人口”. 岐阜市 (2018年4月1日). 2018年12月2日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2018年12月2日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2018年12月2日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2018年12月2日閲覧。
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 21 岐阜県』、角川書店、1980年 ISBN 4040012100 1285頁
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 21 岐阜県』、角川書店、1980年 ISBN 4040012100 67頁
- ^ a b c 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 21 岐阜県』、角川書店、1980年 ISBN 4040012100 68頁
- ^ a b 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 21 岐阜県』、角川書店、1980年 ISBN 4040012100 131頁
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1980, p. 790.
- ^ a b 岐阜市立小・中学校及び高等学校通学区域に関する規則、2013-11-13閲覧。
- ^ [1]、2022-04-23閲覧。
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