大柳生村 歴史

大柳生村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/02 14:00 UTC 版)

歴史

  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、添上郡 大柳生村、阪原村、大平尾村、忍辱仙村、大慈仙村が合併し添上郡大柳生村が成立。
  • 1957年昭和32年)9月1日 - 田原村、柳生村、東里村、狭川村とともに奈良市へ編入される。同日大柳生村廃止。

地名伝承

村内山口神社の北隣に「柳の森」と呼ばれる小さな森があり、昔天をつくばかりに大きなの木があり、大柳生の地名もここから生まれた。この柳は弘法大師が杖にしていたのをこの地に挿したのが大きくなったと伝わっていたが、京都三十三間堂が建立される際、棟木に柳を用いることとなり、この柳も求められた。大勢の人を集め運ぼうとしたが全く動かなかったところ、どこからともなく現れた小人が音頭をとると、するすると動き始めたという[3]

学校

脚注

関連項目


  1. ^ 国勢調査 昭和30年国勢調査 人口総数”. 政府統計の総合窓口. 2013年9月21日閲覧。
  2. ^ 昭和30年国勢調査 市区郡町村別人口の表記「Oyagyu-son」による[1]
  3. ^ 『弘法大師伝説集』 第3巻、国書刊行会、1976年、140頁。全国書誌番号:74012619 


「大柳生村」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「大柳生村」の関連用語



3
34% |||||

4
34% |||||




8
14% |||||



大柳生村のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



大柳生村のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの大柳生村 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS