夏田昌和 夏田昌和の概要

夏田昌和

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/09 07:45 UTC 版)

夏田 昌和
NATSUDA Masakazu
生誕 (1968-07-02) 1968年7月2日(55歳)
出身地 日本東京都
ジャンル 現代音楽
職業 作曲家

人物・来歴

作曲家 夏田鐘甲(韓国名:禹鍾甲)の長男として東京都に生まれ、幼少期よりピアノを学ぶ。東京芸術大学音楽学部附属音楽高等学校を経て、東京芸術大学作曲科へと進む。この間、作曲を野田暉行永冨正之近藤譲、スコアリーディングや伴奏法をアンリエット・ピュイグ=ロジェ他に師事した。1991年、同大学作曲科を首席で卒業。卒業作品として書いたオーボエ協奏曲「モルフォジェネシス」が芥川作曲賞にノミネートされて注目を集めたが、この時は受賞は逃している。また並行して、洗足学園大学指揮研究所において秋山和慶他に指揮法を学んだ。1993年、芸大大学院修士課程修了後に渡仏、パリ国立高等音楽院作曲科に入学し、作曲をジェラール・グリゼイ、指揮をジャン=セバスチャン・ベローに師事する。1997年、同院作曲科を審査員全員一致の首席一等賞他を得て卒業し、帰国。2002年「アストレーション」で2回目の芥川作曲賞ノミネート、同賞を受賞する。アンサンブル・アンテルコンタンポランフランス文化省サントリー音楽財団などより多くの作品委嘱を受けて作曲活動を続ける。2013年には指揮者の阿部加奈子とともに日仏現代音楽協会を創設[2]

作品はISCM(横浜)やザグレブ・ミュージック・ビエンナーレ、メルツ・ムジーク(ベルリン)、マンカ音楽祭(ニース)、ミュージック・フロム・ジャパン(ニューヨーク)、アヴァンティ夏期音楽祭(フィンランド/ポルヴォ)、大邱国際音楽祭(韓国)、武生国際音楽祭(日本)、フェスティバル・プレザンス(パリ)などにおいて紹介され、オランダ放送交響楽団、ベルリン交響楽団新日本フィルハーモニー交響楽団東京交響楽団、アンサンブル2e2m、アンサンブル・アンテルコンタンポラン、アンサンブル・ルシェルシュ、アンサンブル・クール・シルキュイ、ジュリアード・パーカッション・アンサンブル[3]東京シンフォニエッタをはじめとした著名なオーケストラやアンサンブル、クロード・ドゥラングル(Sax.)やバリー・ウェッブ(Trb.)、セドリック・ティベルギアン(Pn.)などの優れたソリストによって、世界各地で幅広く演奏されている。

指揮者としてもアンサンブル・コンテンポラリーαやアンサンブル・ヴィーヴォなどの団体と共に、数多くの日本人作曲家の新作の初演や海外現代作品の紹介に携わってきた。中でもジェラール・グリゼイの『Vortex Temporum I~III』や『境界を超えるための4つの歌』、スティーヴ・ライヒの『Tehillim』といった大作の日本初演を指揮した。また市民オーケストラへも時折客演している。

グリゼイに師事したことから日本におけるスペクトル楽派の作曲家と看做されることが多いが、それとは異なる方法論による作品も多い。また微分音程の使用はほとんどの作品に共通する特徴である。

受賞歴




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