国鉄40系電車 戦時改造

国鉄40系電車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/19 19:14 UTC 版)

戦時改造

本系列は、東京と大阪の両地区で使用されたため、戦時改造の方針は異なる。東京地区では、二等車の格下げや、クロスシート車のロングシート化、座席削減であったが、大阪地区では、4扉改造を施された42系の高速台車との振替えを行い、高速台車に換装されたモハ40, 41の両形式をモハ51形に編入するという、複雑な計画となった。これらの改造は、戦時輸送のための輸送力増大への対応が目的であったが、戦争の激化とそれに伴う資材不足により当初計画されていた全車に改造工事を施工することはできなかった。

東京地区

サロハ56形の格下げ

サロハ56形は、1938年の京浜線二等車廃止にともなって、三等車代用として使用されていたが、1943年(昭和18年)から正式に二等室のクロスシートと仕切り壁を撤去して全室三等車に変更した。これにより、サロハ56形は旧番号順にサハ57形(57048 - 57060)に改称され形式消滅したが、外観はサロハ時代のままであった。

モハ51形の編入

東京地区では、中央線でセミクロスシートのモハ51形26両(51001 - 51026)が運用されていたが、1943年からクロスシートを撤去の上ロングシート(座席削減)化された。この改造により、大阪地区の同形式と異なり、40系と歯車比が同一であることから、モハ41形(41056 - 41081)に編入された。こちらも、外観上の変更はない。

モハ40形の運転台撤去

クモハ41083

両運転台式のモハ40形46両(40035 - 40080)の後位運転台を撤去して客室化する改造が、1943年から1944年にかけて実施された。番号はモハ51形編入車に続いて41082 - 41127とされたが、戦争が激化するにつれ資材不足となり、改造は半数の22両に施工されたのみで全車に及ばなかった。改造当初は撤去した後位運転台の乗務員扉や妻面の窓などは種車のまま残された。これらの名残が全く消滅するのは1955年に施行された更新修繕IIによってである。

40035 - 40038, 40040 - 40042, 40045 - 40049, 40053, 40058, 40064 - 40066, 40068, 40070, 40075, 40078, 40079 → 41082 - 41085, 41087 - 41089, 41092 - 41096, 41100, 41105, 41111 - 41113, 41115, 41117, 41125, 41126

大阪地区

大阪地区の40系は、前述のように電動台車の振替えを伴ったため、モハ40形、モハ41形は高速型3扉車のモハ51形となった。また、3扉クロスシートのクハ68形、クロハ69形については、ロングシート化(座席削減)にともなってクハ55形に編入されている。計画は改造途上で変更が行われたため、一部の車両で改造後に再改番が行われている。

改造の内容は以下のとおりであるが、その他に関西急電用(52系)のサハ48形(48029 - 48036)、サロハ66形(66018, 66019)を3扉ロングシート化してサハ57形(57061 - 57070?)とする改造が計画されたが、こちらは施工されないまま中止となった。

モハ41形をモハ51形に改造

1943年、大阪地区には14両のモハ41形が存在したが、そのうち1932年製の41001 - 41011を42系電動車と台車を振り替えて、高速型3扉車としてモハ51形に編入されることとなった。番号としては51058 - 51068が予定された。しかし、5両が改造された時点で1938年製の3両(41053 - 41055)を51058 - 51060とし、1932年製を51061 - 51071とするよう計画が変更され、すでに落成していた5両について再改番が実施された。改造工事自体も戦局の悪化にともなう資材不足等により、結局最初の5両のみで中止された。新旧番号対照は次のとおりである。

41002, 41006 - 41009 → 51059, 51063 - 51066 → 51062, 51066 - 51069

モハ40形をモハ51形に改造

大阪地区には19両のモハ40形があったが、当初計画では全車が後位運転台を撤去のうえ、台車を高速型に振替えてモハ51形(51069 - 51087)とすることとされた。しかし、途中で40001 - 40006を両運転台型高速車モハ70形(70001 - 70006)とし、後位運転台撤去車は40007 - 40019をモハ51形(51075 - 51087)とするように計画が変更された。これらのうち、実際に改造が施工されたのはモハ51形への8両のみで、モハ70形については1両の施工もないまま計画中止となった。

40007, 40010, 40012, 40015 - 40019 → 51075, 51078, 51080, 51083 - 51087

クロハ69形をクハ55形に改造

大阪地区で使用されていた51系に属する二等三等制御車クロハ69形の座席をロングシート化(座席削減)して、クハ55形(55097 - 55105)に編入したものである。クロハ69形の製造数は11両であるが、69001と69002は東京地区に転属しており、69003 - 69011の9両が改造対象となった。その際、通常型雨樋を持つ車と雨樋を高い位置に装備したタイプが各々連番となるように番号が入替えられている。番号の新旧対照は次のとおりである。

69003, 69008 - 69011, 69004 - 69007 → 55097 - 55105

クロハ59形をクハ55形に改造

クハ55111 小郡駅

42系に属する二等三等制御車クロハ59形は、緩行電車の二等室廃止に伴って、全車の車体中央部に扉を増設のうえ二等室を三等室に格下げしてクハ68形に改造する工事が進行していたが、1942年3月までに16両に対して施工した時点で中止され、1942年度からは全室ロングシートのクハ55形に切り替えられた。このうち55106は事故により休車となっていた59022(旧サロハ46形)を試験的に片側4扉に改造したもので、1943年に新形式クハ85形(85026)に改められている。これに続く55107 - 55109の3両も旧サロハ46形の59023 - 59025を種車としており、さらに59016, 59018 - 59021が55110 - 55114とされている。番号の新旧対照は次のとおりである。

59022 - 59025, 59016, 59018 - 59021 → 55106 - 55114

クハ68形をクハ55形に改造

1943年度から1944年度にかけては、3扉クロスシートのクハ68形をロングシート化(座席削減)のうえ、クハ55形に編入する改造が行われた。このグループにはクハ68形として新製されたクループ20両(68001 - 68020)と、クロハ59形16両を編入したグループ(68021 - 68035, 68037)があったが、いずれもクハ55形に改造され、クハ68形は一旦消滅することになる。番号の新旧対照は次のとおりである。

68001 - 68020, 68021 - 68035, 68037 → 55115 - 55134, 55135 - 55150

注釈

  1. ^ 日本初の20 m級鋼製車体を持つ電動車は1928年(昭和3年)に登場した大鉄デニ500形である。
  2. ^ 「電車の特ロ」は1958年、151系特急型電車の2等座席車サロ151形で実現した。

出典

  1. ^ a b “鉄道博物館の車両たち 8”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 3. (2007年10月2日) 
  2. ^ レイルマガジン 201号 p.127






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