名古屋鉄道デボ650形電車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/27 14:36 UTC 版)
名古屋鉄道デボ650形電車 | |
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名鉄モ650形661 (旧名古屋鉄道デボ650形661) | |
基本情報 | |
製造所 | 名古屋電車製作所 |
主要諸元 | |
軌間 | 1,067 mm(狭軌) |
電気方式 | 直流600 V(架空電車線方式) |
車両定員 | 100人(座席44人) |
車両重量 | 25.41 t |
全長 | 14,961 mm |
全幅 | 2,642 mm |
全高 | 4,115 mm |
車体 | 木造 |
台車 | 住友製鋼所ST-27 |
主電動機 | TDK-516-A直流直巻電動機 |
主電動機出力 | 70 PS |
搭載数 | 4基 / 両 |
駆動方式 | 吊り掛け駆動 |
歯車比 | 2.65 (61:23) |
制御装置 |
電動カム軸式間接自動制御 東洋電機製造ES-155 |
制動装置 | SME非常直通ブレーキ |
備考 | 各データは現・名鉄成立後、1952年(昭和27年)現在[1]。 |
沿革
デボ650形(以下「本形式」)は、旧・名古屋鉄道の前身事業者である名古屋電気鉄道当時から増備が続けられた1500形の後継形式に相当し、同形式の最終増備グループである1519 - 1525(後のデボ600形)の主要設計をほぼ踏襲して新製された[2]。ただし、本形式においては搭載する主電動機が変更されたほか[3][4]、装着する台車など細部の仕様は異なる[5]。また本形式は、名古屋電気鉄道当時に制定された、4輪単車構造の車両を500番台・2軸ボギー構造の車両を1500番台と区分する車両番号付与基準[6]に拠らず、個別の形式称号が付与された最初の車両形式である[5]。
本形式は1926年(大正15年)から翌1927年(昭和2年)にかけてデボ651 - デボ665の計15両が名古屋電車製作所において新製され[7][* 1]、車両新造使用届はデセホ700形701 - 705と同日の1927年(昭和2年)3月23日付で提出されている[4]。なお、同時に落成したデセホ700形は丸屋根(シングルルーフ)構造の半鋼製車体を旧・名古屋鉄道の保有車両として初めて採用し[5]、以降の新製車両も半鋼製車体に移行した[5]。そのため、本形式は旧・名古屋鉄道における最後の二重屋根(ダブルルーフ)構造の木造車体を備える新製車両となった[5]。
本形式を由来とする車両群は、現・名鉄成立後に過半数の車両が電装解除による制御車化改造を施工され[5]、さらに本形式とほぼ同一の木造車体を備えるク2100形(初代)2101を編入し[9]、最終的にモ650形・ク2230形の2形式に区分された末、1967年(昭和41年)まで運用された[5]。
車体・主要機器
1500形1519 - 1525とほぼ同一の、屋根部をダブルルーフ構造とした全長14 m級の木造車体を備える[2]。ただし、1519 - 1525の全長が14,935 mmであったのに対して、本形式は全長14,961 mmとわずかに異なる[10]。
運転台を前後妻面に設けた両運転台構造とし、妻面は大きな円弧を描く丸妻形状で、3枚の前面窓を均等配置し、妻面裾部には連結器取付座を兼ねた台枠端梁が露出する[11]。側面に3箇所設けられた客用扉は、両端部の扉が両開構造の引扉で、中央部の扉のみ片開構造の引扉であり[2]、両端扉の車体中央側戸袋を楕円形の戸袋窓(丸窓)とし、側面窓配置は1 D e 5 D 5 e D 1(D:客用扉、e:丸窓)である[2]。
主要機器は1500形1519 - 1525のうち「乙型」に区分される1521 - 1525の仕様[3]を概ね踏襲するが、制御装置についても国産品に変更され[4]、イングリッシュ・エレクトリック (EE) 社の前身事業者の一つであるディック・カー・アンド・カンパニーが開発した、「デッカーシステム」と通称される東洋電機製造製の電動カム軸式自動加速制御器を採用した[4][5]。主電動機は同じく東洋電機製造製のTDK-516-A直流直巻電動機を採用、1両あたり4基搭載する[4][7]。端子電圧500 V時定格出力70 PS[* 2]の出力特性は1521 - 1525が搭載した東洋電機製造TDK-31-S直流直巻電動機と全く同一であり[3][4]、歯車比も2.65 (61:23) と同一値に設定されている[3][4]。
台車は住友製鋼所(のちの住友金属工業)ST-27形鋼組立形釣り合い梁式台車を装着する。制動装置はウェスティングハウス・エア・ブレーキ (WABCO) 製のSME非常直通ブレーキで、1500形1519 - 1525と同一である[5]。集電装置は、トロリーポールを屋根上に前後各1基、東洋電機製造製の菱形パンタグラフを屋根上中央部に1基、併設して搭載した[4][11][12]。
なお、これら主要機器の仕様は台車と連結器を除いてデセホ700形とも同一であった[4]。
注釈
- ^ 本形式をデセホ700形と同じく全車1927年(昭和2年)製であるとする資料も存在する[8]。
- ^ 後年定格出力表記を端子電圧600 V時の数値に改め、公称出力が85 PSに変更された[1][7][10]。
- ^ モ600形(初代)が1941年(昭和16年)1月時点で既に丸窓を埋め込み撤去していたのに対して[14]、モ650形は1946年(昭和21年)5月時点でモ652が丸窓を存置した状態であったことが現存する画像[16]によって確認できる。
- ^ 1964年(昭和39年)5月13日、広見線今渡(現・日本ライン今渡) - ライン遊園(現・可児川)間の踏切において御嵩発犬山行普通電車の先頭車であったモ656と横断中のトラックが衝突、モ656は衝突した側の妻面を全て喪失するほど大きく損傷し乗員乗客に死傷者が多数発生した事故である[21]。折しも名鉄社内において本形式をはじめとした老朽木造車の処遇が検討されていた時期でもあり、この事故が代替促進の要素となったとも評される[8]。
出典
- ^ a b 『RM LIBRARY187 名鉄木造車鋼体化の系譜 -3700系誕生まで-』 p.44
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 「私鉄車両めぐり(87) 名古屋鉄道 3」 (1971) p.63
- ^ a b c d 「監督局 第1849号 名古屋鉄道客車設計ノ件 大正14年7月20日」
- ^ a b c d e f g h i 「監督局 第719号 名古屋鉄道車両設計ノ件 昭和2年3月31日」
- ^ a b c d e f g h i 「名古屋鉄道の車両前史 現在の名鉄を構成した各社の車両」 (1986) p.167
- ^ 「知られざる名鉄電車史1 郊外線草創期の車両 - デシ500形とその仲間たち」 (2007) p.169
- ^ a b c 「私鉄車両めぐり(46) 名古屋鉄道 補遺」 (1961) p.36
- ^ a b 『RM LIBRARY187 名鉄木造車鋼体化の系譜 -3700系誕生まで-』 pp.9 - 10
- ^ a b c d 「私鉄車両めぐり(27) 名古屋鉄道 3」 (1956) p.37
- ^ a b c d 「私鉄車両めぐり(87) 名古屋鉄道 終」 (1971) p.63
- ^ a b 『写真が語る名鉄80年』 p.58
- ^ 『日本の私鉄4 名鉄』 p.109
- ^ a b 「戦争突入を目前にした1941年初頭の名鉄電車」 (2011) pp.151 - 152
- ^ a b 「戦争突入を目前にした1941年初頭の名鉄電車」 (2011) p.151
- ^ 「戦争突入を目前にした1941年初頭の名鉄電車」 (2011) p.149
- ^ 「戦後間もなくの名古屋鉄道」 (2006) pp.78 - 79
- ^ a b c 「私鉄車両めぐり(87) 名古屋鉄道 終」 (1971) p.60
- ^ a b 「私鉄車両めぐり(27) 名古屋鉄道 3」 (1956) p.36
- ^ 『名古屋鉄道社史』 pp.339 - 341
- ^ a b c 『名鉄電車 昭和ノスタルジー』 pp.137 - 139
- ^ 『RM LIBRARY187 名鉄木造車鋼体化の系譜 -3700系誕生まで-』 p.4
- ^ a b c d e 『私鉄の車両11 名古屋鉄道』 p.176
- ^ 『名鉄電車 昭和ノスタルジー』 p.142
- ^ 『名鉄電車 昭和ノスタルジー』 p.141
- ^ 『名鉄電車 昭和ノスタルジー』 p.147
- 1 名古屋鉄道デボ650形電車とは
- 2 名古屋鉄道デボ650形電車の概要
- 3 運用
- 4 脚注
固有名詞の分類
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