千利休 家族

千利休

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/17 23:04 UTC 版)

家族

  • 宝心妙樹(ほうしんみょうじゅ、生年不詳 - 天正5年7月16日1577年8月10日))
    先妻。
  • 宗恩(そうおん、生年不詳 - 慶長5年3月6日1600年4月19日))
    後妻。
  • 千道安
    長男。母は宝心妙樹。
  • 宗林(そうりん、生没年不詳)
    次男。母は宗恩。夭折し、父母を悲しませたという。
  • 宗幻(そうげん、生没年不詳)
    三男。母は宗恩。夭折した。
  • 田中宗慶
    一説に庶長子。
  • 清蔵主(せいぞうしゅ、生没年不詳)
    庶子。明叔寺を号。
  • 千少庵
    養嗣子。宗恩の連れ子。
  • 不明(生没年不詳)
    長女。母は宝心妙樹。永禄元年(1558年)ごろ、茶人千紹二に嫁いだ。
  • 不明(生没年不詳)
    次女。母は宝心妙樹。天正4年(1576年)ごろ、利休の弟子である万代屋宗安に嫁いだ。天正17年(1589年)、豊臣秀吉に気に入られて、奉公するように請われたが断り、のちの利休の自害の遠因になったという説がある。夫が没すると、実家に戻った。
  • 三(生没年不詳)
    三女。母は宝心妙樹。従弟にあたる石橋良叱に嫁いだ。三の逸話は一説には彼女のこととも言われる。
  • 吟(生没年不詳)
    四女。母は宝心妙樹。天正12年(1584年)、本能寺の僧侶円乗坊宗円(古市宗円・玉堂)に嫁ぐ。
  • 不明(生没年不詳)
    五女か。魚屋与兵衛に嫁いだ。
  • 亀(かめ、生年不詳 - 慶長11年10月29日1606年11月29日))
    末女、六女か。名は長(ちょう)とも。天正4年(1576年)ごろ、のちに利休の養子となる少庵を婿とした。少庵との間には宗旦をもうけている。利休が秀吉の怒りを買って堺に蟄居する際に、歌を亀に残している。また夫婦仲は良好ではなかったようで少庵とは別居していたが、息子・宗旦が利休に連座しようとした際には別居先から駆けつけている。

また、偽書『南方録』によれば、三・亀を除くいずれかの女子が、天正19年1月18日1591年2月11日)に自害したという。


  1. ^ 近年、日本茶道史研究家の中村修也文教大学教授)は『時慶記』の記述や豊臣秀吉発大政所宛書状の内容などを論拠として、利休はこの時死なずに失踪し、消息不明となったという説を唱えている[18]
  2. ^ 桑田忠親は、「ある長編の歴史小説で試みられた作家のフィクションであって、史実ではない」と否定している[29]。なお、その歴史小説とは、野上彌生子『秀吉と利休』を指す。
  3. ^ 毘沙門町および葭屋町通元誓願寺下ル町の晴明神社の近くにあったという。また『聚楽古城図』(国立国会図書館・広島県立図書館など蔵)によれば、聚楽第北御門横の元誓願寺通下る大宮通東付近にあったと推定される。






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