八阪神社 (奈良市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 03:34 UTC 版)
歴史
鎌倉時代の建武5年(1338年)6月、手掻門北塚に影向があり、託宣によって手向山八幡宮の摂社とされたと伝わる[1][2]。その後、慶長11年(1606年)、寛永19年(1642年)、宝永元年(1704年)など度々火難にあったが、都度再建されている[1]。
東大寺の惣絵図にも、西の築地外に接して祇園社が描かれ、現辨財天社と考えられる小社殿も表されている[1]。
境内
本殿は三間社流造で、中央に素戔嗚尊、左に櫛稲田比売命、右に八柱御子神を祀っている[1]。本殿瑞垣の外には辨財天社がある。拝殿は方二間、床張り、瓦屋根[1]で、他に神庫と集会所がある。
文久4年(1864年)の石灯籠の他、境内正面門前に、永代常夜灯、元禄5年(1692年)と刻んだ石灯籠の竿石が立っている[1]。その他水船や古い井戸枠も残る[1]。
記録によると、鳥居・玉垣は文久2年(1862年)5月の建立、拝殿も同年11月上棟とされる[1]。
祭神
本殿
辨財天社
参考文献
- 八阪神社現地由緒書
- 奈良市史編集審議会編『奈良市史 社寺編』、吉川弘文館、1985
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