光延博愛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/04 23:34 UTC 版)
来歴
子供の頃から好きな漫画のイラストを模写することが好きで[1]、中学入学後に漫画雑誌への投稿を始める[1]。本人は一度、雑誌『漫画少年』に自分の作品が載ったことがあると話している[1]。
多摩美術大学を卒業後、1959年(昭和34年)に東映動画に入社[1]。当時は特にCMに興味を持っていなかったが、「これからは宣伝の時代。宣伝界にしがみついていれば何とか食っていけそう」と自分なりに考えて望んで、退社してフリーになる1966年(昭和41年)までCM課に配属されて勤務。その中で、黄桜のCMで河童のキャラクターを描いた清水崑との出会いは後のアニメーター生活において大きな財産だったと話している[1]。しかし公害が社会問題化した時代になり、時には公害を生み出すような企業のCMも作らなければいけない自分の仕事に辛さを感じるようになり、また他のこともやってみたい気持ちも大きくなって東映を退社[1]。東映退社後の1966年、最初に『おそ松くん』の演出を手掛ける[1]。
参加作品
- 1966年 おそ松くん(アニメ第1作)(演出)
- 1967年 かみなり坊やピッカリ・ビー(演出)
- 1973年 哀しみのベラドンナ(原画)
- 1975年 まんが日本昔ばなし(演出)
- 1976年 ハックルベリィの冒険(監督[注 1])
- 1976年 ドカベン(絵コンテ・演出)
- 1980年 がんばれゴンベ(絵コンテ・演出)
- 1980年 おじゃまんが山田くん(チーフディレクター)
- 1980年 まんがことわざ事典(キャラクターデザイン)
- 1982年 一ッ星家のウルトラ婆さん(監修)
- 1982年 さすがの猿飛(絵コンテ)
- 1983年 キャプテン翼(チーフディレクター・絵コンテ)
- 1984年 あした天気になあれ(チーフディレクター)
脚注
固有名詞の分類
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